介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

母の方は

2011-09-30 16:59:27 | 日記
父の事を中心に書いているので、偶には母のことも

以前書きましたが、リハビリやボケ防止の為に買い物や家事をさせております。
その家事なのですが、大袈裟に書けば私の命を脅かしております。

例えば料理関係の事を書くと、次のような物を食べる事を強要されます。
知人に話しても中々信用されないのですが、脚色なしに実際に起こった事です。
原因は、母が老人性白内障で小さな物が見えないことや、自分で作った物をチャンと憶えていない事などによる物と考えます。
 ・アリ添えのオカズ[「野菜炒め」「豚ひれ肉のソテー」等に多発]
  作り方:作ったオカズを皿に盛り、食卓の用意をするために食器棚の天板に置いておくと、勝手に完成。
  
 ・蟲入りの「味噌汁」
  作り方:殺虫剤を撒いた後、あまり時間を置かずに味噌汁を作れば、勝手に具が増えていく。
 ・アリの混ぜご飯(類似品:アリ入りのカレーライス)
  作り方:配膳前に、ご飯茶碗(或いはカレー皿)を3分ほどオカズの隣に置いておくと、茶碗(カレー皿)にアリが這い回るので、そのままご飯などを盛れば完成。
 ・味噌ダンゴ入りの味噌汁
  作り方:味噌汁を作る最後の工程である「味噌の投入」をお玉で適当に行なった後、2~3回かき混ぜて、味噌汁の色になったら火を止めて完成。

最初は、私が『××が入っているから食べられないよ』と言っても、「この子、何、変な事を言っているの?」という顔をして「食べたくないのなら、食べなければいいじゃないの。子供みたいな事を言わないの」と言ってご機嫌斜めになっていましたが、メガネを掛けさせて目の前にアリや蟲を持って行って見せる事を何度か繰返したら、どうにか事実であることを憶えこんだようです。
今では、配膳する前に私が目を皿の様に見開いて、オカズや食器類にアリや蟲がいないかどうかを確認しておりますが、月に1~2回程度は途中まで食べて「アリの混ぜご飯」だったと言う事が発生します。

この程度では命の心配は致しません。
では他に何があるのか?
○熱湯風呂
 我が家の風呂は、季節や天候によって当然に左右されますが、大体、30分前後で沸きます。
 ところが、母はワザワザ消し忘れを防止するために目覚し時計をセットしているのですが、週の半分近くは沸かし過ぎます。
 そして沸かし過ぎた3回に1回はその旨を言ってくれるのですが、残りの2回は本人も沸かしすぎたことを忘れているか、沸かしすぎたという自覚がありません。
 ですので、何気無く湯加減を見るのを忘れて掛け湯などしたら、下手すれば大火傷。こちらに関しては、変な食べ物以上に命の危険性があるので、事前に湯加減を見るのが体に染み付いてはおりますが・・・手で見た時は少し熱めで良い湯加減に思えても、イザ入って見ると足がヒリヒリして入っていられない事があります。勿論、湯加減を見る際には何度もお湯をかき混ぜています[あっ!これは逆に沸く前に消したことを知る為の行為ですね]。
○変わった味のオカズ
 心臓病の母は減塩生活なので、余り味見を致しません。ですので、はっきり言ってこれまでの経験による目分量で私へのオカズを作ってくれます。
 ですので、偶に塩辛かったりはます。でも、この程度はご愛嬌でして、調味料を間違ってとんでもない味がついたオカズを食べた日は、胃腸の調子が悪くなり、一度横になってしまうと起き上がるのが大儀です。更に、アリは砂糖が大好きですから・・・ダブルで発生するとダメージが・・・

『私が住んでいる方の家を光熱費込みでタダで貸しますから、誰か住み込みで家政婦に来て!』と思ったのが何度あったことか。

介護していません

2011-09-26 12:57:24 | 日記
先週は金曜日に父の所へ行ってきました。
色々とあって、施設内に居たのは30分でした。

前日の木曜日、家に帰ると母が「今週中に施設の契約を更新しないと、施設からお父さんが送られてきてしまう」という訳の判らない話を始めました。
そこで、金曜日だけど祭日で休みだから、父のところへ行く序に契約の更新をしようと言う事にしたのですが、9時に家を出ようとすると、ここで母が「実印持ってこいって言ってるのだけど、これお父さんの実印?お前の実印?」「何で実印なんか必要なのよ~」と、意味不明の発言とグチが出ました。
9:20頃に家を出ると、以前書いた「遠くの親戚・近くの小父さん」の隣が父の実家(所謂、本家)なのですが、先の地震で壊れた屋根瓦の修理がやっと始まっていたので、そこに住んでいる甥っ子の嫁と世間話が始まります。
 母「昨日から音がしていたけれど、屋根の修理始めたのね」
 嫁「そうなのよ。台風で心配していたの」
 母「そうよね。家の大工さん、いつまでたっても壁の修理に来ないの」
 嫁「そうなの。たいへんね~」
 母「台風で壁が又崩れて、表が良く見えるようになっちゃったのよ」
 etc...

一通り世間話が終わり、施設に着いたのが9:50頃。
2階に上がると、とりあえず部屋へ向かったのですが、ベッドの上には父の姿は有りません。先週と同じく、部屋の奥(窓際)に居るのかと探したのですが居ません。
部屋へ向かう途中で男性トイレに誰も入っていない事は確認済みなので、珍しく食堂に居るのではと言う事で、来た道を戻り食堂へ。

食堂の近くに来ると、食堂から出てきた男性入所者を女性職員が連れ戻そうとしてバタバタしております。
食堂に到着して父の座るテーブルに近付くと、父が背中を向けて座っていました。そして、先程の男性入所者が、父の向かい側に座らさせられています。
父に声を掛けると私たちに気付いてくれたのですが、少し経つと私が来た事を忘れてしまったのか、母に「何んだ、1人で来たのか」と問い掛けがありました。
その間、先程の男性入所者が立ち上がり、再び食堂から出ようとします。今度は男性職員に捕まりました。私たちの横まで連れ戻すと、男性入所者がボソボソと話すので男性職員がやおらズボンのウエスト部分[ゴム]を伸ばしてお尻を見ています。気のせいか、一寸臭いました。
父の目の前にはコーヒーと思われる液体が入ったカップが置いてあるので、母が父に飲む様に勧めたのですが、飲もうとはいたしません。
理由を尋ねると「熱くって飲めない」との事。前にも書きましたが、元気だった頃の父は、お茶は厚くなければ飲みませんでしたので、母は「昔は熱いのしか飲まなかったでしょう。だから飲みなさい」と更に勧めたのですが、やはり飲みません。
話すことも無いので「やる事があるから、用が無ければ帰るよ」と言うと、父は「田植えが忙しい時期だから~、しかたねえな~」と、時期外れ且つ農家ではない我が家には関係ない事を返答。母が「今は稲刈だよ」と多少訂正を入れて、私たちは食堂を後にしました。

1階に下りると、事務室に声を掛けて契約の更新手続きを致しました。
要は、施設利用代金等の請求タイミングと引き落とし日が変更になるから、その部分を修正した契約書を作ったので、記名捺印をして欲しいということでした。
担当者の話しで判りましたが、『父が送られてくる』というのは、私が仕事で忙しいので、今週中に手続きが出来なければ、来週にでも自宅に書類だけ届けに行くと言う事だったようです。
『実印が必要』というのは、シャチハタでは困りますよと言う事のようです。
とりあえず、変更内容に対する一通りの説明を聞いた後、疑問点が無いので直ぐに記名捺印。

その足で、いつものスーパーに買い物に行き、その帰りに自転車の後輪がパンクしたのはご愛嬌?

台風お見舞い

2011-09-22 08:57:11 | 日記
私のブログを見て下さる皆様へ、台風お見舞い申し上げます。

我が家及び勤め先は特に大きな被害が無く無事でした。

しかし、私もその1人でしたが、昨日の首都圏は帰宅困難者で凄かったですね。

私は17:30頃に会社を出たのですが、本来は越権行為では有りますが役員[総務部長]と連絡が取れないので15:00の段階で「16:00までには帰宅開始」の命令を出したんです。
なのに何で1時間30分も遅れたかと言うと・・・
この台風の中、アポイント済みだからと言うので15:00に来客が1件[別の社員に対して]。その打ち合わせが終了したのが16:00。
 ※私が当日の施錠責任者だから、否応無しに最終退出者となる
打ち合わせが終了するまでの間に、宅配便で送る荷物の受取人に対して『台風の影響で、約束した日には書類は届きませんがどう致しましょうか?』との確認TELを入れさせて、全ての方から遅延の承諾を取ったのに、その中の1社が担当営業にクレームTELを入れたために、結局、運送会社を待てるだけ待った上で、急ぎの仕事に目処がついた人間から順次帰ることに[何故か会社から近い順に帰宅の途に]。
私以外の社員全員が帰宅を開始したので「ここらで帰ろう」と帰宅準備した17:10に運送業者がずぶ濡れで集荷に来てくれたので、安心して17:30頃に会社の戸締りを致しました。

いつも使う通勤経路は途中で折り返し運転をしているために使えない事は承知の上で、会社最寄り駅から東京メトロの某路線に乗車。
最後にネットで確認した時点ではどうにか動いている路線から迂回ルートを3つ考えながら、最初の乗換駅で降りると、JRと東京メトロは一部の路線を除いて完全に運行停止。想定した3つの迂回ルートはここで選択不可能となりました。その乗換駅に停車しているいつも使っている路線の車両で運行再開を待ち始めたのが18:30。
 ※後で同一方面に帰る方の情報を集めた所、私は当初から考えていなかった
  都営の路面電車や都営バスでの迂回ルートを選択した方はもっと悲惨でした。
一部運行再開が決定したのが20:40。今までの経験から一部運行再開[運休区間の安全点検]から約1時間で全面運行再開と読んでいたので、先程の途中駅で待っていると21:50頃に全面運行を開始。自宅の最寄り駅に着いたのが22:30。22:45の最終バスに乗って、家に着いたのが23:00頃。

今朝は何時もの様に4時に起き、久しぶりに6時の1番バスに乗って出勤してきました。

秀山祭9月大歌舞伎を見てきました

2011-09-20 12:08:09 | 日記
18日(日)に新橋演舞場で歌舞伎「秀山祭9月大歌舞伎」(昼の部)を見てまいりました。
造詣が深い訳ではないので簡単な感想しか書けませんが、母は観劇できた事自体は喜んでいたので良かったです。

 ・舌出三番叟
 今回の襲名を祝う為に演じられた三番叟です。舞踊は良く判りませんが、言祝ぎを述べているのであろうと言う事と、後半はコミカルな事を演じている事は感じ取れました。
 ・新口村
 「封印切り」等で知られる『恋飛脚大和往来』の1場です。これを書くために調べたら、『恋飛脚大和往来』は、人形所瑠璃「冥途の飛脚」(漢字変換したら、最初「メイドの引客」になったのは笑えた)が元の話しだそうですね。ある小説で「もう一度「冥途の飛脚」を見てみたい」と言う文章を読んでその名称を知っていました、いつかは見てみようと思っていた演目の1つです。
 特に事前知識がなくても、チラシ裏面に書かれている解説だけで話の内容は分かりました。
 昨年見た「沼津」でもそうでしたが、中村歌六が演じる父親の義理と人情の間での葛藤は見ていて感動いたしました。
 ・寺子屋
 「菅原伝授手習鏡」の1場です。TVでは何度も見ており、話の筋は凡そ理解していたので、気軽に見ることができました。
 やはりこの話は松王丸(中村吉右衛門)と武部源蔵(中村又五郎)との掛け合いが見所だと思いますし、今回は『上手い』の域と感じました。
 ・勢獅子
 襲名を祝って、最初に『お手を拝借』は嬉しい趣向です。
 舌出三番叟で書きましたように舞踊はよく判らないので、チラシ裏に書かれている色々な踊りが、実際にどの踊りなのかは、はっきり言って判りませんでした。しかし、獅子舞のコミカルな仕草は楽しめました。

唯、一番前の席だったので「寺子屋」で登場した子役が座っている時の姿が良く見えなかった(母はまるっきし見えなかったといっています)事と、私たちの右隣に座った女性(注1)が、歌舞伎を生で見始めて2年目の私でも違う事が分かるほど底の浅い知識(注2)を夫に対してひけらかすのが難点。
と言う事で、次回からはライトが眩しいけれど余計な雑音が少ない花道の近くである1F2列1ケタ台で観劇しようと言う事に。

(注1)
 盛んに他のお客さんと挨拶を交わしておりました。
 しかし、私たちの左隣に座った女性や1つ後ろの列に座った方々の様に、明らかに梨園の方が挨拶に来る事はなかったので、梨園関係者や有力な御贔屓筋ではないと思われます。

(注2)
 『舌出三番叟』で三番叟を演じた7世「市川染五郎」は9世「松本幸四郎」の長男であり、高麗屋です。成田屋「市川団十郎」の息子は「市川海老蔵」。『市川』だから、全員が同じ屋号ではない事は常識だし、二人が兄弟と言った時点で『くすっ。この日と何も知らないのかしら』と思ってしまいました。あるサイトで梨園の家系図を辿ると、11世「団十郎」と初世「白鴎」(8世「幸四郎」)は兄弟ですから、何10年も前の事と混同しているのかもしれません。
 又、踊りの型と言うものには夫々意味があるものであり、適当に手足を動かし、鈴や扇子を使っているのでは御座いません。
 『新口村』で父親を演じた「(現)中村歌六」は、今回「中村又五郎」を襲名した「(前)中村歌昇」の兄であり、弟では有りません。http://www.kabuki.ne.jp/meikandb/meikan/actor/51
 又、屋号が「萬屋」になったのは、中村錦之助(萬屋錦之助)を初めとする小川一門が播磨屋から独立したためであり、丁度1年前の秀山祭9月大歌舞伎にて「(現)中村歌六」「(前)中村歌昇」の一家は昔の播磨屋に戻った旨を演目『沼津』の中で報告しております。今年の4月から播磨屋になったのでは有りません。
 序に、今回の襲名を祝い特別な緞帳が掛けられておりますが・・・真ん中に有る「揚羽蝶」は「家紋」ではなく「定紋」とよぶのでは?それに、萬屋のときには「揚羽蝶」ではなく、「桐蝶」を使っていました。
 『寺子屋』で松王丸を演じられた「(現)中村吉右衛門」の実兄は、高麗屋の「(現)松本幸四郎」、実父は「松本白鴎(8世 松本幸四郎)」。松緑(?)とは親子でも兄弟でもありません。これを書くに当たって調べましたが、「2代目 尾上松緑」は「松本白鴎(8世 松本幸四郎)」の実弟なので、叔父。
 こちらも序に・・・『寺子屋』と夜の部で演じられる『車引き』は、共に「菅原伝授手習鏡」の一部です。流石に夫にたしなめられておりましたが、「菅原一代記」というものでは御座いません。

介護していません。

2011-09-20 08:41:19 | 日記
毎週の定例行事として、土曜日に父の所へ行ってきました。
今回は12分です。

先週と同じく、金曜日からの書き始めます。

16日(金)
連休(シルバーウイーク)を前にして、何とか仕事を終えたのが19:30頃。
いつもであれば、NHK教育テレビで22時からの放映番組を見るために真っ直ぐに帰るのですが、久しぶりに後輩が『奢ってください』というので、チョットのつもりが22:30まで居酒屋にことを落ち着けて、帰宅が24時チョット前。

17日(土)
そんな訳で朝起きたのが7時過ぎ。
バタバタしながら父のところへ向かう為に家を出たのが10時ごろ。天気予防では曇り[ところにより雨]と言う割には、我が家周辺上空にだけ大きな黒雲が・・・『ここが「ところにより」なのかな~』と思いながら自転車を漕ぎはじめると、チョット雨が落ちてきました。施設の近くでは少し降りが強くなりはしましたが、小雨程度。
ところが施設2階に上がると女性職員が「なに~あの雨、横殴りの暴風よ」と騒ぐ声にリハビリ室[位置を書くと、エレベーターから2階ロビーへ向かう時に真正面に見える部屋]の大きな窓に目をやると、先程の小雨が暴風雨に。
『こりゃ~雨が上がるまで、ここにいないとだめだな~』といいながら2人で父が何処にいるのかを思案。母は食堂かもと言うけれど、私の意見でとりあえず部屋を見てみる事に。
部屋の中が見える位置に来ると、父のベッドは空っぽ。車椅子も見えないので、部屋に居ないと思い込んでいたら、部屋の奥で横殴りの雨を眺めていました。
声を掛けると父は部屋から出てきたのですが・・・この後、父と母は「水分を取りなさい」「水はあまり飲めない」「チョットづつでも良いから飲むの」を3回繰返してしまい、父はご機嫌斜め状態で部屋へ戻ってしまいました。
仕方なく帰ることにして、玄関を出ると雨が上がり日が射しておりました。
まあ~、偶には軽い夫婦喧嘩も刺激になって良いのかもしれませんね。

翌日18日の歌舞伎鑑賞は、「介護もせずに」と言う意味では題名にあっていますが、別に書きます。

介護していません

2011-09-12 12:46:35 | 日記
今週も父の所へ行ってきました。
今回は、記憶違いでなければ施設内に居た最短時間となる10分。

さて、今回は金曜日から話を始めます。

9日(金)
 色々と仕事が残っているのだけど必要な確認相手が定時退社日なので、私だけで処理できる部分は終らせ、仕方なくこちらも20時には退社[モットも、金曜日はNHK教育TVが22時から放映している『にっぽんの芸能 花鳥風月堂』『にっぽんの芸能 芸能百花繚乱』を母に見せるために、20時には退社を心がけているのだけど]。
 誰も残っていないのを好いことに、会社から私用電話を掛けて『今、会社。10時ごろには家に着く。何か買う物は?』と尋ねると、「今さっき、帰ってきたところなの。明日、買い物に行くから、今日は真っ直ぐ帰ってきて」との予想外の返事。
 何があったのかは帰ってから聞くことにして、急いで会社の退出確認作業を行い、どうにか22時少し前に自宅に到着。すると、雨戸を閉めることはなくガラス戸が一部開けられた状態で家の電気が落ちている。居間に上がって部屋の電気をつけると、母が起きて「寝ちゃったようね」と何事もなかったかのように起き上がりました。いゃ~今思い返すと面白い事に、電気が消えている家を見たときには、泥棒を疑うよりも、突然死を疑いましたね~。
 遅い夕食が終わり、母の話が始まったのですが、午後3時に施設から『薬が切れたので、病院に行って、薬を貰ってきてください』との電話が入り、杖を突きながらとりあえず施設へ。施設の職員も入所者が入院しているので一緒に行きましょうと言う事になり、4時に施設の車で病院に。患者当人ではないからと言う理由で、なんやかんやあり、3時間後にやっと薬が渡され、待っていたくれた施設の車で自宅まで送って貰ったけれど帰宅したのが19時だったとの事。施設側も、『今後は施設が契約している病院で診療及び薬の受け渡しにしてほしい』との手続き変更を要求。元々、施設側が契約している病院での診察だったのを取りやめたのは施設側なのに勝手だね~と言う事で話は終りました。
 

10日(土)
 予報では1日持ちそうな感じでしたが厚く雲が垂れ込んでいたので、母の方から積極的に施設に出かけようと言い出し、家を9時過ぎに出ました。自転車後輪の空気が甘く、大分ガタガタ揺れながら施設に到着したのが9:10頃。
 2階に上がると、母が「お父さんは何処にいるのかな~」と言うので、私は『多分部屋でしょう』と答えながら、部屋を目指しました。
 職員詰め所がある広場を曲がりトイレ前を歩き過ぎると、通路で父が日向ぼっこをしておりました。昨日の施設からの電話は呼び出し電話だけではなく、父がベッドから転げ落ちて顔面にアザを作った旨の事後報告も兼ねていたので、父の右ほほ辺りが黒アザになっているのを見ても驚きはしませんでした。
 この日の父は言語不明瞭で、何を話しかけてきているのかが母にも判りませんでした。「もっと顔を出せよ」と言うのは聞き取れたので、母が「一昨日、病院に一緒に言ったでしょう。昨日は、薬を取りに病院に行って大変だったんだから」とやり返す横で、私は『一昨日じゃないでしょう。水曜日だから、サキオトトイ?』と茶々を入れる。雨が降るといけないので、いつもの様に「用がなければ帰る」旨を言うと、「顔を見て安心したから帰れ」との返事。
 『こりゃ~5分程度だな~』と思いながら玄関に設置している時計を見たら9:20過ぎ。いつもの様に買い物をして自宅に戻ったのが10:05だったので、私としてはこんな早い時間に戻れたのが驚きでした。

 そうそう今週末から3連休ですが、18日(日)には母を連れて新橋演舞場で歌舞伎(昼の部)を見に行く予定です。今回は1F1列の20番台後半が取れましたので、ホボ真正面です。
私も気晴らしになりますし、余り外出しない母の足腰が弱って寝たきりになる事を考えれば、無理やりにでも連れ出して、2名で3万円(郵送手数料別途300円)の切符は安い出費だと思っております。
 昨年も9月公演を見に行き、演目『沼津』を母は喜んでいたので、今年も播磨屋さまご一門(「2代目中村吉右衛門」様、「中村歌昇」改め「3代目中村又五郎」様、「中村種太郎」改め「4代目中村歌昇」様 ほか)の素晴らしい芸を喜んでくれたら親孝行の真似事が出来て嬉しいです。
 唯一残念なのは、今回の9月公演は「3代目中村又五郎」「4代目中村歌昇」の襲名披露の場でもあり、その口上を述べる「夜の部」が見られないことですね[2階や3階であればどうにか席は取れますが、杖を突いている母には階段での上り下りは無理ですし、座席も階段状なので足が縺れたら1階に転落してしまいます]。

昨日、父が

2011-09-08 13:32:33 | 日記
死んではおりません。

※※少し前の出来事※※
8月21日
 午前9時台に父を訪ねる。
 朝食で食べた魚のせいで腹痛になった訴える。
8月24日
 定期健診で泌尿器科へ。
 微熱が続いているが、特に異常無しと言う診断。
8月29日
 午後3時台に父を訪ねる。
 ベッドに寝たままで起きようとしない。
※※回想はここまで※※

昨日帰宅すると、母が布団を敷いて横になっており、起き上がれませんでした。
仕事の関係でいつもよりも遅く、午後11時に帰ってきたので、そのせいなのかと思ったら、別の理由が

※※ここからは要領を得ない母からの話し※※
 午前10時頃、施設から『ここ数日、旦那さんの食が細くなり、今朝は一口も食べませんでした。病院に連れて行って欲しいので今から来てください』と言う電話で入ったので、20分掛けて施設まで歩いて行った[以前書きましたが、『病院と施設間の送り迎えはするけれど、病院での付き添いは家族が』という事になったから]。
 施設に着くと、既に1Fフロアーに職員と父が待っており、休む暇もなく直ぐにマイクロバスに乗せられて、掛かり付けの病院に着いたのが11時頃。
まずは泌尿器科で診察をすると「異常なし」との診断されたけど、食事を採っていないので点滴(輸液)。
 続いて内科での診察を受ける為に病院内を移動するのだけど・・・点滴の管が垂れ下がっており、車椅子の車輪に管か巻き込まれそうなので『点滴の管と架台を持っていてね』と言うと、父は返事はしたのだけども実行せず。仕方なく、杖を父に預けて、車椅子と架台の両方を母一人で押していく事に。手伝ってくれる看護士や職員は皆無。
 内科での診察を受けた時に採血。内科の診断も「異常なし」だったけれど、内科医が『ご家族なのですから、毎週連れて来なければダメですよ』と、余計なお小言。でも、診察室から待合室へ戻る時には、看護士の方が車椅子と架台を移動してくれたから、母はチョット機嫌が直る。
 お昼は、急な事で何も持って来ていないから、院内の購買で菓子パンを1個購入して食べただけ。父にパンを勧めても食べたくないというから一人で食べていたら、父が『自分だけ美味しそうに食べやがって』と文句。
 点滴が終るまでに4時間も掛かったので、施設に迎えの依頼電話をしたのが午後4時前。
送迎バスを運転しているケアマネージャーが自宅まで送ってくれたので、帰りは楽だったけれど、家に着いたのが午後4時30分頃。
疲れて布団を敷いて寝ていたので、お風呂は沸かしておいたけれど、オカズは用意していない。
だから、何か作って食べて。
※※母からの話しは、ここでおわり※※

ハイ?
別に文句も有りませんし、父も入院した訳ではないので助かりますが・・・20分近く話しを聞かされた結果が飯抜きとはチョット勘弁して欲しい。
だったら、先に『オカズを用意していないから、自分で作って』と言って欲しかった。

介護していません

2011-09-06 11:47:47 | 日記
予定に反して土曜日に父のところへ行って来ました。
今回は15分程度。

台風12号及び台風で刺激された秋雨前線の両影響をあまり受けていないのか、土曜日の午前中は薄雲で明るかったです。とは言え、いつ雨が降るのか判らないので、何時もよりは気持ちだけ早く父のところへ向かいことに致しました。
左からの横風を受けながら自転車を漕いでいると、何処からか雨が。空を見ても黒い雲は見当たらないので、Uターンはせずに父のところへ行く事にして、最初の曲がり角を左曲がると、(当たり前ですが)強烈な向かい風で自転車が少し押し戻されてしまいました。
施設までの実況中継こここら辺で終わらせて・・・何時もより時間が掛かり、施設に着いたのが9:25頃。2箇所目の施設でもそうだったのですが、9:30前後になるとデイサービスやショートステイの方を拾い終わった施設の送迎バスが何台も到着いたしますので、玄関付近やロビーなどはご老人であふれかえった状態となります。
その方々を避けながらエレベーターに乗り込み『閉』ボタンを押そうとしたら、女性職員がご老人2名を引き連れて近付いて来ます。『先にどうぞ』とボディーランゲージがありましたが、それは何だかイヤなので『開』ボタンを押しながら10数秒待って、一緒に乗ってもらいました。私たちは2階で降りましたが、女性職員は3階のボタンを押したので、このご老人2名はショートステイの方なのだと思います。

話は前後しますが、施設に着いた時点では、何時もの推定27cmのスニーカーは玄関には有りませんでしたが、私たちが帰るときには有りました。

さて、2階に到着して迷わずに部屋へ直行し始めたら、職員の方が『お父様は今、トイレに入っていますよ』と教えてくれたので、チラッと男性トイレを見ると、父のネームプレートがぶら下げられている車椅子が見えたので、母をトイレ前の椅子に座らせて父が用を済ますのを待っておりました。

今回はあまり目新しい事がなかったので、某男性職員の言動を中心に、父を待っている間のことなどをチョット紹介。
男性職員が女性トイレに入ると中でなにやら有ったようで、その男性職員が「何やってんだよ!しょうがねえな~」と怒り口調でトイレが出てきて、父の隣の部屋へ駆け込みました。
女性トイレの中からは女性職員が「何を怒っているのかしら?怒るような事は何も無いわよね」と呟いています。
男性職員はズボンを持って再びトイレへ。どうやら、ズボンを濡らしてしまったようです。
その後、女性トイレの中から男性職員がグチを言っているような口調で「見たことの無い新しいお婆さんが、椅子に座っているよ」と言っているのが聞こえてきました。母のことのようです。
母もその声が聞こえたようで、翌日、私に『失礼な職員が居るのよね。知らない婆さんが居るっていうのよ』と愚痴っています(注)。

やっとトイレから出てきて父は、職員に車椅子を押してもらいながら私たちの前に来ましたので、母が「どっちに行くの?食堂?部屋?」と問いかけると、聞き取れなかったのか、理解できないのか、父は黙ってニヤニヤしています。再び母が同じ事を問いかけたのですが、やはりニヤニヤしたままです。周りの迷惑にもなるので、私が右手で先ず食堂の方を指差して、次に部屋の方を指差しながら『どっちに行くの?』と問いかけると、「部屋」との返事が返ってきました。
自力で車椅子を動かすのかと待っていたのですが父は一向に移動を開始しませんので、(リハビリを兼ねて、自力で動いて欲しいのだけど)仕方なく私が車椅子を押して部屋まで連れて行きました。

部屋に着いた父が「ベッドに寝る」というので、車椅子をベッドの横まで押して行き、今度は父は自力でベッドへ移動。掛け布団を直してあげると、『有難う。もう帰っていいぞ』と言うので、これ幸いと施設を後にしました。

ただ気になるのは、父の両手首にある黒アザ。又どこかでぶつけたりして、内出血を起こしたのかもしれません。問い詰めればよかったと、後で後悔しました。

(注)
以前から感じていましたが、夕食時に、テレビ番組の内容を話題振りしてくる事があるのですが、偶に、数日前に一緒に見た番組なのに『こんな内容の番組があったわよ』と話すことがありますので、母もボケが入っております。
今回も、自分一人で施設に行った時に言われた事だと思い込んでいたようで、私が『昨日、お父さんを待っている時に言われたんだよね』と言うと、怪訝そうな顔をしました。

台風だけど

2011-09-02 09:48:29 | 日記
台風12号の影響で、昨夜から断続的に強い雨が降っています。
今、明日の天気予報を見たところ、降水確率80%となっておりますので、このまま明日を迎えると、母を自転車の後ろに乗せて父のところへは行く事ができません。
何故かと申せば、母の心臓病手術を終えた後に担当医から私に与えられた注意事項は、『先ずは、風邪をひかない事。風邪をひかせない事』でしたから、雨が降る可能性が高い時は外出禁止が我が家の取り決め事項。たとえ自宅と施設の間は急いで往復10分であろうと、ここで母までが入院または施設への入所となったら・・・1度経験致しましたが、『わが世の春』であると同時に、色々な遣り繰りが面倒です。

何を言っているのか判りませんよね。
確かあれは平成18年11月の事です。母は左足を骨折した事が原因で入院し、その後、主治医が「以前から悪かった右足股関節もこの際だから手術してしまおう」と決めた為、足掛け8箇月に亙って入院していました。その頃の私は80㎏台前半の肥満体型だったのが、3箇月もすると70kgを切り、『もう少し頑張れば60kg台前半までおとせるかな~。やや標準体型になれるかな~』と期待できる状態になりましたし、誰にも邪魔されないので、規則正しい生活パターンが身に付き、『わが世の春』状態。
でも、平日に病院から呼び出しの電話が入った為に仕事を代行する者が居ないのに早引けしたり、土曜日は9時には衣類を詰めたリュックサックや手提げ袋を持って家を出て父の所(2箇所目の施設)へ、施設に着くと持ってきた衣類を整理タンスに仕舞い、部屋の隅に固められてある1週間分の洗濯物をリュックサック等に詰め込む、10時近くになると施設を後にして家に戻ると直ぐに洗濯機を回して干しておりました。洗濯物を干し終わると昼食の準備。食器はとりあえず水を張った洗い桶に入れたままにして、今度は母のところへ行く準備。13時頃に家を出て病院に着くのが、何もなければ1時間後の14:00頃なのですが・・・大部屋に入っているから、何か差し入れしないと肩身が狭いだろうと思い、病院へ向かうバスが出ている駅前にある東武百貨店やイトーヨーカ堂などの食品売り場で果物を毎回購入(偶に、暇だろうと言う事で婦人雑誌も差し入れ)して居たので病院に着くのは14:30頃。面会時間ギリギリの15:00まで母のところに居り、家に着くのは16:00~16:30頃。家に着くと直ぐに父の洗濯物を取り込んで、来週の為にリュックサックへ詰め込み。大体その頃を見計らって、面会にも来てくれない親戚連中が状況を聞きに尋ねてくる。日曜日は家の周りの掃除とか町会の用事で殆どつぶれていました。