介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

一方、母は

2011-10-25 08:18:23 | 日記
ここ1週間、変な料理は出ていません。[味付けの点は置いといて]
配膳前に、丹念に布巾で拭いてくれております。

しかしながら、ふらつきが生じるせいか?動作が鈍くなっております。
また、体を屈めると心臓が圧迫される為なのか「苦しい」と言っており、部屋の掃除は専ら私が朝か夜に行うことになりました。

あと、奥歯がぐらついているのと、その為に入れ歯が合わなくなった事から、食事量が減りました[心臓病患者が飲む薬の関係で、歯科医に行っても簡単には抜歯してくれません]。
そこで昨日、帰りしなに『お茶漬け』と『蒸しパン』を買って帰ったのですが・・・歯がグラついて食べられないからそれらを買ってきた事を行ったら、「グラついていた歯を(自分で)抜いたから大丈夫」との事。

出血が止まらなかったらどうする心算だったの!まったくもお~。

介護していません

2011-10-24 11:14:04 | 日記
いつもの如く、土曜日に父の所へ行ってきました。
今回は15分弱[施設滞在時間数]でした。

21日(金)
諸般の事情で、どうしても当人が当日に持ち帰る資料がある為に、南東北地区の日帰り営業に出ていた社員が戻ってくるのを待っていたら、会社を閉めたのが20:30頃。
家に着いたのが22:30頃だったので、毎週金曜日に楽しみにしている22:00から始まる「にっぽんの芸能」の第一部『花鳥風月堂』を見る事ができませんでした(月曜日5:00に再放送があることも忘れて、見ておりません)。
帰宅途中に降り始めた雨に強くなってきたので、土曜日は父のところへ行けないかも知れないと思いながら、就寝。

22日(土)
平日よりは少し遅めの5時に目を覚ますと、昨夜よりも強い風雨。
天気予報を見ると降水確率70%と言う事なので、それを信じていたら、8時ごろには一旦雨風が収まったので、父の所へ行く事に決定。
2週間前に施設から渡された介護計画書に記名押印をした物を封筒に入れて、9:15に家を出たのに・・・そんなにゆっくりと走った覚えはないのに、何故か施設に着いたのは9:30。
1階奥にある事務室の窓を叩いて介護計画書を手渡した後、エレベーターで2階へ。
母が珍しく「食堂を見てきて」というので、見に行くと、父が座っておりました。
母には手招きで食堂に居る事を伝え、父には『何していたの?』と問いかけると、「テレビをみていた」との返答。
食堂に設置されている大型画面によるテレビは見難いから、2階ロビーのテレビを見るようになったはずなのに?と思い、『ここからだと見難いでしょう』と話しながら、目の位置が父と同じ高さになるように膝を屈めてみると、多少は画面が見やすくなりましたが、やはり人物などが光ってしまい、顔の区別や背景が良く判りません。
そのうち、母も父の所へ到着し、やはり同じような事を遣り取りを行い、父は「向うだと、好きなテレビ(番組)が選べないから、食堂のテレビを見ている」との返事。
食堂にしてもロビーにしてもリモコンは特定の入所者が独占しているので、当人がチャンネルを変える事が出来ないと言う点では同じ。なのに、今日は見え難い食堂のテレビの方が良いと言うのは何かあったのかもしれません。

母が「何も用がなければ帰るよ」と言うと、父は「用はないけれど、テレビでも見ていろ」と言って、珍しく私たちを引き止めました。淋しいのだと思いますが、雨が降ってきたら困るのと、私が1週間ほど風邪を引いているので、「また雨が降ってくると困るし、これから買い物をしないと食べる物がないから帰るよ」と母が言うと、渋々了承したので、施設を後にしました。

いつものスーパーへ行く途中に、久しぶりに警邏中の警察官に自転車の二人乗りを咎められてしまいました。

介護しませんでした

2011-10-17 15:57:06 | 日記
今回は、土曜日にも日曜日にも、私たちは父の所へ行きませんでした。

ハイ。介護の真似事の放棄です。

これは言い訳になりますが、断続的な雨と向かい風の中、母を自転車の荷台に座らせて、私が押していくのは無理と判断したからです。
何故無理なのか?雨の時には外出しない理由は以前に書きましたので省きますが、扇風機の風(風量を弱)に当たっても息ができないと言って、ウチワを使っている母は、風除けである私がサドルに座っていないと、あの風の中では呼吸がままならないからです。

1回サボると、父の所へ行くのが億劫に感じます。
でも、2週続けて顔を出さないと言うのはダメですよね~

前回の続きです

2011-10-14 12:41:57 | 日記
2階へ行こうとしている所を呼び止められ、ロビーの端にあるテーブルに案内されている間、私は『若しかして、自動引き落とし口座の残高が、また不足したのかな~』と勘繰っておりました。しかし、話の内容はそれではなく、父の介護計画書[介護方針]の確認でした。
本人が機能回復を願っていない(痛いのはイヤだからリハビリを拒絶)ので、職員の説明は右から左へ抜けておりました。本人及び同居者の記名・押印が必要な書類ですので、記名・押印の場所を改めて確認し、一旦預って、次回の来所の際に事務局へ渡すと言う事に致しました。

予定外の説明が終わって2階へ。
エレベーターを降りて、『さて、今日も部屋を先に見てこないと』と思いながらロビーに向かうと、珍しく父がロビー前に設置されているテレビを見て居りました。
過去に何度かテレビについて父と話したことが有りますが・・・食堂の大型液晶テレビは父が座っている位置の斜め前に有りますが、証明の関係か?画面が見える位置だと思われるのに見えません。そこで、楽しみが無いといって部屋で寝ている父に「ロビー前にあるテレビだったら画面が見えるから、見に行けば?」と話しても、興味を示さなかったのに・・・本当に珍しい事です。

他の入所者の方もそのテレビを見ているので、部屋で話す時よりも小声でいつもの簡単な会話を交わしましたが、テレビを見ているほうが楽しいのか、今日は私たちの顔を余り見ようと致しません。
出掛けに母にあんな事があったので、母を立たせたままで居る事も良くないと思い、今回も早々に帰ることに致しました。


介護していません

2011-10-13 12:13:09 | 日記
大抵は勤務中にこのブログを書いているので・・・仕事が立て込んでくると書くのが遅くなってしまいます。

さて、いつもの様に土曜日に父の所へ行ってきました。
施設に居た時間は25分程度。
先に今回の総括を書いてしまいますが、『今回は無事に2人で行けて良かった。』

当日、私は3連休の初日で体がダレて居たのか?風邪を引いたようで、右半身(肩からわき腹にかけて)に痛みを感じて7時まで起き上がれませんでした。
どうにか朝食を済ませ、洗濯も母と二人で分担して終らせてのが9時頃。
背中を向けていた私に「さて、お父さんの所に行こうか」と母が声を聞こえて来たので、振り返ると、母が私に向かって倒れこんできました。
どうにか支え、仰向けに寝かせた後に母に声を掛けたのですが、深呼吸をしているだけ返事がありません。
とっさに浮かんだのが『脳梗塞 or 脳溢血』『狭心症』『死亡フラッグが立った』(←本気です)の3つ。
『脳梗塞 or 脳溢血』を発症した者に対しては、揺すってはダメと言う程度の知識は有ったので、耳元で『聞こえている?』『どうしたの?』『緊急通報ボタンを押すよ!』と声掛けをしてところ、「少しこのままで居れば大丈夫」との返事がやっと返ってきました。時間にすれば2分程度なのでしょうが、返事が返ってくるまでの時間は長かったですね。後で聞いたら、「最近、急にフラ~てなるから怖くて散歩が出来ない」と言っていましたので、どうも軽度の狭心症になっている感じです。
母の状態が落ち着き、当人も出かけると言っているので、改めて父のところへ向かう為に家を出たのが9時30分頃。

前回、パンクを修理したので自転車はとても快適で、途中で呼び止める町会の人も居なかった為、凡そ3分で到達。
2階へ上がる為にエレベーターへ向かおうとすると、見慣れない女性職員が私達を呼び止めました。


***とりあえず、ここまでで一旦終わりにして、続きは日を改めて書きます***

昨日も

2011-10-04 12:59:25 | 日記

読んで気分が悪くなるといけないので、数行の空白行を設けます。












昨日も母の変な料理を食べる事となりました。
晩御飯を用意しているときに、いつもの様に茶碗やオカズにアリが集っていないかどうかを確認した所、それは大丈夫でした。
しかし、炊飯器からご飯を盛ってイザ食べようとしたら、白い艶々したご飯に赤茶色の小さな物体が付着しているではありませんか!どう見ても精米の時の糟では無く、何時も気にしているアリにしか見えません。行儀が悪いのですが、箸でご飯を弄り回してアリらしき物を探し出した所、私の茶碗には20個有りました。
この、晩に食べているご飯は、母が朝に炊いたご飯で、炊飯釜の底の方にあったものです。
すると・・・昨日は朝から「アリの炊き込みご飯」を食べていた?それとも、昼頃に炊飯器に侵入した?

序に、今朝、私のご飯茶碗にアリが1匹這っていたので、即座に洗いました。

今日のお昼前に

2011-10-03 12:57:23 | 日記
今日の11時30分ごろ、仕事で使う往復はがきを買いに郵便局へ行ったのですが、赤信号で待っている時に、30メートルほど先に有る*を90度曲げた形をした六叉路のど真ん中を、手押し車を押しながら横断しているお婆さんを見ました。
本来は、最初は4車線の道路を横断し、続いて2車線の道路を横断するのですが、真面目に横断歩道を渡ると『く』の字型に渡らなければならないためなのか、そのお婆さんは横断歩道を無視して、6車線を一気に横断しています。渡り初めは多分歩行者用信号は青だったのだと思いますが、私がお婆さんの横断に気付いた時には歩行者用の信号は全て赤であり、車両は全て減速した上でお婆さんのすぐ近くをすり抜けていきました。

正直な所、『ババァ、チャンと横断歩道を渡って、一旦、歩道で待ってから渡れよ!』と思ってしまいましたね。
あれでは、仮に引っ掛けてしまった車両の方が可哀想です。

今回も介護していません

2011-10-03 12:36:27 | 日記
いつもの様に土曜日に父の所へ行きました。
今回も15分(実質は5分って所ですね)。

前回、帰宅途中でパンクした自転車はそのままの状態なので、当日は私が自転車をゆっくりと押し、母が荷台に捕まりながら施設に歩いていく事にいたしました。施設までの所要時間は徒歩20分でしたので、母が1人で歩くよりは早かったです。
途中、農作業へ向かう町会の方とすれ違い、偶々、その周りで農作業している町会の方々も集まってきて「お宅は偉いねえ~。いつも見ているけれど、毎週欠かさず、お母さんを連れてお父さんの所へ行っている。近頃こんな孝行する子供はいないよ」等と褒められてしまいましたが、このブログを読んだらどう思うことか?
真面目に介護している方の中には、体も心も生計もギリギリのところで頑張っているのに、この程度で褒められてしまっては、身の置き所がありません。

さて、施設に着いたのが9:50頃。久しぶりに推定27cmのスニーカーを見ました。
2階に上がり、考えるまでもなく当たり前に父の部屋へ向かいましたが、父はベッドにも部屋の奥にも居りません。いつもの習慣で男性用トイレは誰も使っていないのは確認済みでしたので、廊下を逆戻りして食堂へ向かいました。
多分これまで書いていなかったと思いますが、父は食堂入り口から見て左奥のテーブルが指定席です。しかし食堂に入って左側は調理室となっており、調理室のドアが開いている時は入り口から見えるのですが、大抵は調理室を越えないと見えません。
今日は、調理室から父が座っている筈のテーブルが見えます。父らしい人間も背中を向けて座っていますので『居た!』と思って調理室の角を曲がると、何故か目の前に父がいます。先程確認したのは別人でした。
2箇所ある調理室出口の一方の出口前、且つ、通路の真ん中に居るために、他の入所者や職員の通行の邪魔になっているので『邪魔になっているから、移動しよう』と声を掛けると、「こんなに広い部屋なんだから、何処にいても邪魔にはならない」との反論。でも、その横を職員がワザワザ廻りこんで、奥のテーブルに向かうのを見て納得したのか、自分から車椅子を動かして端に寄りました。
特に話すべき近況報告や話題が無いので散歩に誘ったのですが、いつもの如く「田植えが済んでいない田圃は見てもしょうがない」と、季節を無視した返事。父の横には9月誕生日の方を大きく書き出した表が貼ってあり、父もそれをぼんやりと見ていますが、それは過去か将来の事とでも思っているのでしょうか?それとも、来年の田植えの事をいっているのでしょうか?定かではありません。

散歩を拒否されて話題もなくなったので、『自転車がバンクしているから、直しにいくの。だから、用がなければ帰るね』と断ると、手を振りながら「あぁ~、さようなら」と言ってくれたと思ったら、「もっと頻繁に会いに来いよ」とのオマケ発言。
すかさず母が「毎週来ているでしょう!」と反論したら、黙ってしまいました。

施設を後にしたのが10:05[1階事務室前の時計]、テクテクといつものスーパーまで母と歩き、私は300mほど先のバイク・自転車屋まで自転車を押して、バンクの修理依頼[タイヤの交換となりました]。
なんやかんやで自宅に戻ったのは11:30でした。

※※オマケ※※
10月2日(日)の夕方。
前回書いた母のとんでもない料理が発生。
我が家は土曜日又は日曜日はカレーライスなのですが・・・カレー皿は一度洗った上で、私が目を皿の様にしてアリがはっていないのを確認したのですが、見落としていたようです。ライスが残り2口程度になったら、赤茶色の小さいアリが1塊になってうごめいておりました。
これまでも食べ終わって初めてアリに気付く事が何度も有り、それが原因と思われる病気にはなっていないですし、海外ではアリを食べている方もいるのだからと自分を納得させて食べ続けましたが、本当の所は大丈夫なのか心配です。