介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

母死亡の経緯 その5-どこまで続く治療中

2013-03-26 20:54:57 | 日記
今回の文章の時系列は2月22日の午後です。

・午後0時~午後1時30分ごろまで
 駆けつけてくれた叔母との昼食を済ませた後、特に何もやれる事はないので二人で雑談。
 この頃になると病院からの説明[注1]や、叔母が横に居る事から、私も大分落ち着きを取り戻しており、改めて叔母に発見の顛末を説明すると、叔母曰く「何で一人でお風呂なんか入っちゃったのかね~。お母さんが勝手な事をしたためなんだから、◎◎チャンは悪くないのよ。」
 他には・・・病名は忘れましたが叔母が20年ほど前に「一時的な記憶喪失」[注2]に複数回なった話をしておりました。
[注1]
 そうそう!叔母と二人だけのこの時間中にも医師からの説明がありました
  ・これから整形外科を呼んで、左足の脛の傷の処置を検討する
  ・どこまで治療を行うのかと、延命措置は行うのかを決めておくように
  ・ここはご承知のように救急患者の受け入れ病院なので、状態が安定するまでしか
  入院できない。
  ・ここでの入院期間が終了したら、継続治療を受けるためにどこかの病院へ
  転院してもらいます。主治医としては自宅に戻す事はできませんので、今から
  考えて於いてください。
   ⇒これは、これまでも医師のいうことを聞かなかったという
    前歴も災いしております。
[注2]
 最初の発症の時には、出かける準備をしているのに、どこに出かけるのかが判らない状態になってしまい、玄関先で座っていたそうです。そのとき、偶々、近所の方が尋ねてきて声を掛けた所、「私、出かけなくちゃいけないの」「だからゴメンナサイ」「ところで私、どこに行こうとしているのかしら」をひたすら繰り返していたので、異常に気づき、家族が戻って来るまで付き添ってくれた上、翌日は病院へ行く際にも同行してくれて経緯を話してくれたそうです。医師もそこまで詳しい話が聞けたおかげで診断が楽だったとの事です。


・午後1時30分ごろだったと思うけど・・・
 処置室から医師が出てきて、症状が安定したので面会してもよいといわれた。
 処置室内の母は意識は明瞭だが多少言語不明状態なので、最初は何と言っているのかわからなかったが、「トイレ入っている?」と言っていることが判った。暫らくその意味を考えていたら、尿バック(カテーテル)が入っているのかということだと気づき、私が『おしっこの管だったらはいっているよ』と答えると、「そう。だったらいい」と返事。
 何で呼び出されたのか思い出せないけれど、私だけが呼び出されて処置室から外に出ていた間に、母は腰が痛いからどうにかして欲しいと叔母に話し、それを聞いていた看護師が腰の辺りに折りたたんで敷いていたタオルを外したとの事。又、痛がると言うことはよい兆候だと医師にいわれたとも言っていた。
 外に呼び出された要件を済ませて再び処置室に戻って1分もしないうちに、モニターを見ていた看護師が医師を探しに行き、面会は一旦終了。


・午後2時ごろ
 院内をぐるっと回りこんで救急受付窓口に来た女性を見て叔母が「あらっ?」と言うので私も叔母の視線の先を見ると・・・どこかで見たような感じ・・・私も叔母も気を使って連絡をしていなかった従姉B(私から見て)です。
 私が朝8時の段階で「浴槽の中で血を流して倒れていた」「体温が危険な状態で、いつ心臓が止まっても可笑しくない」と叔母に話した為、叔母が従兄Aに「××チャン(中略)来れるようになったら直ぐにいらっしゃい」と電話をし、それを受けた従兄Aから従姉Bに「お~い、△△姉ちゃん[注3]が(以下 略)」と電話が入ったので、従姉Bは自宅で介護している母親の見守りをする人(要は留守番)をどうにか探し出して、今、駆けつけてくれたのである。
 早速、現在までの状況を話すと・・・「絶対に家に引き取っちゃダメよ。とにかく療養型施設を見つけないと、あなたの方が先に可笑しくなるからね」と、甘い考えをしないように釘を刺されてしまった。
[注3]
 母より15歳程度年下の従兄Aや従姉Bは、母の事を「伯母さん」とは呼ばずに
「姉ちゃん」「姉さん」と呼んでいる。


・午後2時30分ごろ
 整形外科の医師からの呼び出しで、別室で治療の説明を受ける[これまでは、ロビーの長いすに座った状態できいていたのに]。
 説明の内容は
  ・整形外科とは、怪我などで生じた変形を治療する科です。
  ・[私に1枚目の写真をみせて]
   皮が剥けてから大分時間が経過しており、且つ、大きく剥けている。
  この為、むけた皮の先端部分(△の突端部分)は血液が流れておらず、
  壊死が始まっている。
  ・老人なので皮が薄く、もう少し深かく抉れていたら筋肉や神経を切って
  しまい、それだけで歩行は無理な状態になる所だった。
    ⇒私は中学生の時にカマイタチで右足の脛がパックリ切れたことがあり、
    その時に脂肪層や筋肉と骨らしき白い物を見たことを話したら、医師の
    雰囲気がよくなった気がした。
  ・[私に2枚目の写真を見せて]
   縫合は難しかったが、このように縫合した。
   荒く縫合している理由は***です(説明内容を忘れました)。
  ・皮膚がくっ付くかどうかは、3日から1週間程度で判ります。
   もし、皮膚が壊死した場合には皮膚移植を行います。
  ・現在、循環器の先生と相談して抗生物質を投与しておりますが、
  既に感染症が発生しているので、化膿する可能性があります。
 この説明を聞いて疑問だったのは、朝見つけたときに白い突起物らしき物が見えたが、2枚の写真を見る限り骨折している箇所は見当たらないと言う点。そこで母の左大たい骨骨折を治療したのはこの病院の整形外科だったので『足は骨折していないのでしょうか?発見した時には白い突起物が見えたので、開放性骨折をしているのかと思いましたが』と尋ねると、骨折はしていないとの明確な返事が帰って来た。
 

・午後2時45分ごろ
 整形外科の医師からの説明が終わり、ロビーに戻ると従兄A夫婦が到着していた。
 従兄Aは元警察関係の人間なので、私が喋ったこれのでの経緯を聞き終わると、私が直ぐに救急コールした上に、日ごろの母の生活の様子から推測する自己の経緯説明が出来ているから、消防も病院も警察に通報しなかったのだと教えてくれた。その後、大怪我をした家族を見つけてパニックになってしまい変な行動をしたために警察が調べに来た事例[注4]などを話してくれ、「とにかく、救急車を呼ぶことが、あらぬ疑いを避ける」とも教えてくれた。
 確かこの時、従兄Aに「一旦、家に戻って待っていたらどうだ」と言われたけれど、電車とバスで片道1時間強を要するので、家に戻って入院の準備を直ぐに済ませたとしても、単純に考えて往復3時間以上[従兄は車で来ていたのに、この時だけは送ってくれるとは言わなかった]。なぜなのか、入院の準備をする必要は無いと考えて、その提案には乗らない事にした。


・前後から考えて午後4時には、なっていなかった筈
 処置室から循環器科の医師が出て来て、別室にて治療内容の説明をするから来て下さいとのこと。
 先程の整形外科の時には私一人だけで聞いたので、今回も私だけの心算でいたら、少し間をおいて、叔母や従兄達が付いて来ていた。そんな事に気づかなかったので、医師と二人だけで部屋に入り説明を開始すると、看護師が扉を開けて叔母達を案内。
 医師は、デスク上に病状やそれに対する治療方法、そしてその治療に伴うリスクが書かれたA4用紙を置いて、改めて私達に説明開始。
 これまでにも入院するたびに医師からのリスク説明は効いてきたけれど、今回は「心臓は大分弱っているので強心剤は効かないから、延命治療は出来ません」と書いてある部分の説明に漠然とでは有るけれど、何時もとは違うことは感じ取れた。
 一方で、理由不明ながら、血栓が飛ぶリスクや内臓全般の感染症に関する説明には危機感を感じていなかったのも事実。


・午後4時00分前後
 用事があるので従兄A夫婦は帰ることになり「夫々に家庭の事情もあるだろうから帰るのであれば序に途中まで送ろうか?」と叔母と従姉Bを誘ったが、二人は残ってくれた。
 従兄A夫婦が帰ってからそれほど経たない時刻に、再び母との面会が出来た。薬が効いているのか、先程より意識が朦朧としている。
 「これから病棟に上げますから」と言われ、面会時間は今回も数分程度で終わる。
 この後、午後5時までロビーで待つことになる。


時間も遅いので、今日はここまでにします。


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