本日の子ども棒術終えて思った事。仮説の上で。
ZOUKや棒術で自分が求めている大元って何かとなると「生命感覚」かなぁ〜と。
身体感覚のより深いところにあるのかも。
生命感覚は「快・不快」を読み取ると思う。
棒術においてはそれが攻撃を避けなきゃ、自分に害になるという「不快」。大きく伸び伸びと打ち込んで、相手も上手く避けてくれたという「快」。
ZOUKにおいては淀みなく体に負担なく踊れている「快」。無理矢理踊らされているという「不快」
他にも例はあるけど、この「快・不快」の感覚を掘り下げその上に技だの動きだのが乗っているのだと思う。
素直に自分の体に聴いていく事。それが身体感覚を掘り下げ生命感覚を呼び覚ましていく方法になる。

ZOUKはじめブラジルダンスはこちら
棒術はこちら
ZOUKや棒術で自分が求めている大元って何かとなると「生命感覚」かなぁ〜と。
身体感覚のより深いところにあるのかも。
生命感覚は「快・不快」を読み取ると思う。
棒術においてはそれが攻撃を避けなきゃ、自分に害になるという「不快」。大きく伸び伸びと打ち込んで、相手も上手く避けてくれたという「快」。
ZOUKにおいては淀みなく体に負担なく踊れている「快」。無理矢理踊らされているという「不快」
他にも例はあるけど、この「快・不快」の感覚を掘り下げその上に技だの動きだのが乗っているのだと思う。
素直に自分の体に聴いていく事。それが身体感覚を掘り下げ生命感覚を呼び覚ましていく方法になる。

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zoukjapan.yamato@gmail.com