GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

第58回上方漫才大賞 大賞奨励賞・新人賞

2023-06-08 23:21:21 | お笑い考

 大賞奨励賞の吉田たちは、この日は学校ネタや設定が、多い(オンエア的には先に新人賞がオンエアされてるけど、先に奨励賞を表記・呈してるから、こういう書き方になった・・・)な(苦笑)達者やけど、若干魅力に欠けるな(汗)客ウケの良さは、ネタの選択がベタやからかな?見取り図は、安易な笑いのとり方に走りがち、確実にウケる方法と言えば、そうなんやけど・・・ロングコートは、さすがの発想力やけど、ウケてる層が、限定的!ビスケットは、何故「英語」のネタを勝負ネタと思うんかなぁ?このネタの良さを理解するには、相当のお笑い脳が、要る(困)なすなかは、落ち着きすぎてて、インパクトに欠けるな(汗)唯一の松竹勢やったけど、ネタ飛ばしたんが、致命的(涙)

 新人賞のダブルヒガシは、彼らにしてはネタの選択も笑いの手法もベタやったな、客層に合わせすぎたか?客ウケ・完成度も、平均的・・・ハイツは、その世界の違和感を笑いにして、ネタの作る側の視点としては、斜め上からの目線とエッジの効いた共感で自身達の世界に引き込んだな!笑いの性質上全員にウケる・爆笑は難しいけど、完成度も高めで、ええんちゃう!?さや香は、「そんな事言うてない」ってツッコミは、おかしいな・・・ラジオでこの番組を聴いてる人は、解らん。言うならば「そんな大きな(とか)凄い事は言うてない」やと思うけどな・・・発想は面白いけど・・・客ウケもやや弱い・・・しつこいしな。令和ロマンは、東京NSC出で出身も関東のグループでもこの大会に参加出来る事の方が、驚きやったな!逆はあるというか、関西の養成所やオーディション出身で暫く関西で活動してたけど、活動を東京に移して関西と関東を行き来してるグループやったら、今まで散々参戦してたけど、逆はほんまレア!逆に頑張って欲しいな!感想は、笑いの流れが止まる事が、あまり無いな。ただここも数の割には、客ウケがやや弱い(汗)変にこ慣れてる感じがして、新鮮味に欠けるかな。ドーナツ・ピーナツは、発想は面白いけど、ここもしつこいし、客ウケが弱い。ピアニストは、竹内の例えツッコミが、どれだけハマるかが、キーやな!手数も多いけど、パターンが一緒やから、飽きるかも・・・カベは、ここも彼らにしてはエッジが利いてなくベタなネタやったな・・・客ウケは、良い方。ハイツに賞を取らせてあげたかったけど、客ウケを考えると、認めざるを得んかな・・・

 1年経って気付いたけど、点数を書いてませんな。さすがに記録に残ってないんで、改めて書けません・・・

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番外編

2023-06-04 21:18:40 | ミックス

 どうせなら、全編オリというよりパ・リーグ(パ党芸人座談会みたいな)編にすりゃあ、ええのに(汗)ただ今年の番外編は、今日・今週の試合の振り返り&タイガース調査隊&回替わり企画コーナー(各球団の野球ファンの著名人をゲストで呼ぶ、生放送やなく収録が殆ど)の3部構成になってるからなぁ。今日でこそ、タイガース調査隊のコーナーはなく、2部構成やったけど。とはいえ、面白いというか上手い事言ったと思ったんは、能見氏がコーチ時代に「宮城投手は、(ストライクゾーンの)四隅を際どく突いて勝負するタイプの投手やない」と言うた事が伏線になってて、K―岡田の"(グラウンド外での)まさに2人のやり取りが、四隅を突いてた訳や"のくだりぐらいでしたね(汗)やはり冨吉がおらんと、おもろない!

 あと植村義信(<現役時代>毎日・毎日大映<監督>日本ハム)氏が、亡くなりました。植村氏は、1953年に毎日に入団。高卒ながらルーキーイヤーの開幕直後から一軍で先発として起用され、1勝に終わるが、2年目に9勝、3年目のには、チーム最多の50試合登板で初の2桁となる17勝、防御率2.13と好成績を記録。オールスターにも初出場も果たす!1956年には2年連続2桁で自己最多の19勝を挙げ、最高勝率のタイトルを獲得。翌年の開幕戦 対西鉄戦ではプロ野球タイ最少投球数の71球で完投勝利を収め、前年初の日本一に輝いた西鉄を相手に、投球内容は2安打4三振無四球の1失点であった。プロ野球史上9回完投の球数としては最少記録であり、コントロールが良い植村が投げる時は「試合が早く終わる」と野手陣に好評で、この試合も1時間44分という早さで終わった。その後は故障で一時低迷するが、再び1959年には3年ぶりで自身最後の2桁となる14勝と復活し、オールスター出場も決め、チームの2位浮上に貢献。しかし翌年には再び故障し、チームは10年ぶりのリーグ優勝を果たすが、日シリでは登板が無かった・・・その後は罹患もあり、翌年はリリーフでの登板が主となる。2試合連続勝利を挙げたが、これが現役最後の勝利となった。

 引退後は指導者としての才能が開花し、5球団で36年間にわたり指導者を務めた。大毎・東京・ロッテ、阪急、ヤクルト、日本ハム、巨人で監督・コーチを歴任。コーチ業の合間を縫って、1985年には野球解説者との二刀流を務めた!1984年には、勇退してフロント入りすることになった大沢親分 前監督の推薦で監督に就任した。植村氏は就任要請を再三固辞していたが、大沢の懇請を断り切れず監督を引き受けた。廣岡達朗も真っ青の生活面でも管理野球を実践する。戦術面では、ギャンブルスタートやヒットエンドランといった奇襲を多用したが、失敗に終わる事が、多かった・・・就任1年目にも拘らず、6月下旬に成績不振の責任を取って辞任・・・「周囲の反対を押し切って推した俺に責任がある」とフロント入りしていた親分が急遽復帰する事になったが、急過ぎた為1試合だけ矢頭高雄ヘッドコーチが指揮を執り、皮肉にもここまで僅か1勝の木田勇が7安打8四死球を出す乱調ながら完投勝利で、チームの対近鉄戦初勝利となった。日本ハム監督退任後も投手育成力を買われ、2000年までNPBのコーチを歴任し、2001年にはロッテのチーム顧問に就任。2011年までは少年野球・東京ベイボーイズの総監督も務めていた。通算成績は、試322 74勝69敗 防2.69/試67 21勝37敗9分 率.362 でした。お悔やみ申し上げます(涙)

 それとぺこぱのまるスポが、BsG特集もしてましたね。まぁ、至って普通の密着取材&インタビューやったけど(汗)"他のチームと違って唯一ボーカルが居るグループっていうのもあるし、歌も付いて来る"っていうのはDeNAとうちだけかも知れんな。でもこの立場も、これから先・これからの時代は、判らんと思うで!まだ今年に入って1回も、京セラ行ってない事もあるけど、形式上はコロナが明けても今やBs Stageが行われなくなり、あったとしてもドームでの9階スカイホールでの有料ライブになってしもたからな・・・ステージイベント参加料に於いて"前まで¥100でもええから金取ったらええねん"と言いましたが、ほんまに金取ってどないすんねん!!?まあ取ってもええんやけど、ほんまに¥100にして欲しいな、¥300ぐらいなら出すけど、¥400以上やったら、もうええかなと思ってしまう(汗)知らん曲&メンバー(はなから覚える気は、無いけど)が増えまくってるし、やはり僕の中でBsGは2019年で止まってます・・・今日京セラのグッズショップに行ったけど、韓流アイドル?か何かのBLACK PINKとかいうグループのライブと重なってて、混んでたな・・・最近ドームにオリと無関係の時に行ってるし、アーティストのライブと被る事が、多いな・・・来週観戦に着ていく予定やったビジター用ユニ&KITA 38のワッペンを買いに行ったけど、背番号無しユニはホーム・ビジター・サードユニ全て売り切れ(涙)やはり番号無しやと、安いからみんな買うんかなぁ?それとも個人応援よりチームへの愛(笑)?おかげで来週の甲子園は、オール最下位の2016年のユニで観戦となってもうたな、縁起悪い(その年・その時は、対阪神の試合に勝ったけど・・・)トホホ・・・

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もうあのトークと本質を突いた意見が、聞けないのか・・・

2023-06-03 00:41:02 | ミックス

 というか、ビッグ3プラス4人の中で、また故人が出て来てしまうとは・・・紳助よりいつか戻って来て欲しいって思ってたのに・・・元芸人・司会者の上岡龍太郎(本名:小林龍太郎)[漫画トリオ]氏が、亡くなりました!今回のネットニュースで知った事やけど、高校時代はロカビリーに憧れて、バンドをやってたそうやな(汗)どうせ散る(不合格になる)んなら派手に散ろう(自身の学力より相当上の大学を受験しよう)という事で、立命館大学を受験も不合格で、高卒で芸能界入り(汗)新喜劇の座員研修生の横山フック(現:青芝フック)と共に先輩である横山ノックと漫画トリオを結成。芸名は、横山パンチでツッコミを担当。当時芸人では、珍しいイケメン芸人でもあった。立ち位置は、上手(かみて)やったかな?ツッコミの割に真ん中に立たないのも、珍しいよな!パッと浮かぶのは、昔のBコースのタケトと超新塾とカルテット同期の休日(太田プロ)が、一番端の下手(しもて)が立ち位置で。中ボケが、フック師匠で、大ボケがノックでしたでしょうな。時事漫才というか「火災予防週間」などを題材にして、漫才コントを演じたり、僕の知識不足であるが元 パート2の森健四郎(現在は、一般人)氏が自身達もショート漫才を1度の公演のネタの中で何本も披露していた(本人達は、4コマ漫才と証言していた、やるようになったのは、女学生からのアドバイスで"もっと短いネタ・笑いをたくさんやれば良いのにと"いうヒントを与えられて・・・)んやが、曰く"元々ショートコント・ショート漫才というのは、昔からあったんです。漫画トリオさんが、やってましたし"と証言する様に最初に披露したのは、もしかしたら上岡師匠らの漫画トリオやったんかも知れません!アンタウォッチマンの検証によると、一応関東ではジャドーズが、バンドの曲と曲の合間にお笑いコントみたいな事をやっていた為、それがショートコントやった為"ショートコントを最初にやったのは、ジャドーズ"と言われているが、渡辺正行は"最初にしたのはジャドーズかも知れないが、明らかに世に浸透させた・ショートコントを確立したのはウッチャンナンチャンが、最初である"と証言・定義してるな。さらに漫画トリオの漫才コントに入る前の競馬のレースが始まる前の効果音の擬音"パンパカパーン、パンパンパン、パンパカパーン"といった場面転換(ブリッジ)を最初に確立してた可能性も、ある!ただ関東では、東京丸・京兵 師匠が、"ブリッジ確立者"と言われている。ただここで関西・関東「どっちがパクリや」とか、「誰が最初にやった」とかは、言うべきやないと思います!!ともかく漫画トリオは、ブレイクした。特に上岡師匠のツッコミとノックのタコ踊りは、人気を博した。ただ師匠は、常々「ノックさんは、太陽」・「笑いでは、ノックさんに勝てない」と言ってましたが、僕はノックがピンで喋ったりしてる所で、"面白い"と思った事は、1回も無いですけどね(涙)ノックの参院選出馬(政治家への転身)により、トリオは活動休止(実質解散)・・・上岡龍太郎に芸名を変え、ピン芸人として再出発をする。ただノックにまだ見る目があるなと思ったんは、上岡師匠に"司会者としての才能があるという事を見抜いてた点"やったかな。フック師匠は、年齢的にも芸能界でも、上岡師匠より年上にあたる。

 関西でラジオパーソナリティーや司会者としてメキメキと頭角を現す!京都出身らしく裏・表があり、明からさまに面白いワードやポイントを強調せずに、サラッと発言するあたりは、話術や知的さを感じましたね。紳助は根の頭が良くないから、そこが師匠との違いでしたな・・・一方で「関東・東京嫌い」を公言し、基本的には東京進出しない事を明言していた。この事は、後述。屁理屈屋でもあり、前言撤回や名言っぽく聞こえるものが多く見られ・・・

 ・そんなルールをきちんと守るような奴が、この世界(特に芸人)に入って来るとは、思ってない。もしかしたら(オール巨人の様に)そうは考えない(いくら芸人でもそういう事は、きっちりしなければならないという)芸人さんもいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも僕はそうは思わない。仕事に遅刻して来た事を怒ってるんやなくて、"遅刻して来た時の言い訳が面白くないから、怒ってるんや"。

 ・芸人から政治家になる者はおっても、政治家から芸人になった者は1人もおらん。だから芸人の方が、偉い(太田光 氏も全く同じ意見で同じ事を言うてましたな・汗)。

 ・芸人とヤクザは非常に似ているんですよね。"みんなからチヤホヤされたい"・"楽をして儲けたい"とか、「だから芸人とヤクザが仲良くするな!」と言う方が、土台無理な話でね。

 あれほど"東京は、民度も笑いのレベルも低い。アホの住む街や。箸が転げ落ちただけで笑うような、レベルの低い笑い。いいとも!の様な番組が流行ってるのも、同じ様な証拠。"と言っておきながら、"驚きましたね!東京は、ギャラの桁が0が2つ違うんですわ!"と言って、東京のギャラの良さに妥協し、晩年は東京進出をあっさり実現してしまうという狡猾さ(笑)そこを問われると、"別に好き好(この)んで、東京で仕事をしてるんやない、東京に住んでたり仕事をしている皆さんは、「あなた達はアホですよ~」と言いに来てる・注意しに来てんねん"と弁解してましたな。似た様な事で禁煙やゴルフやマラソンも挙げられるけど、それを未だに問い詰められると、"人というものは、進化する動物であります。小学生の時言ってた事を大人になった今でもやってるか?やってたら、そらアホやで(笑)"と屁理屈で返した時には、さすがの今田も「こ憎たらしい~」って思ったらしいけどな。良く言えば臨機応変で柔軟な思考の持ち主で、悪く言えば結構ブレてるよな、ただブレる事は、悪い事やないと思うけどな!僕も口でああだこうだ言いながらブレてる方やと自己分析では、思ってますけど、周りからは「(殆ど)ブレへんよなぁ」と言われます(苦笑)

 1987年に関西ローカルの『鶴瓶上岡のパペポTV』(好評の為番組終了後も1年間、後継番組の『LIVE PAPEPO 鶴+龍』という番組も継続される、中身も全く一緒)で東京からも注目され始める。翌年には、ナイトスクープの放送も開始。局長という名の司会者となる。1990年に『上岡龍太郎のもうダマされないぞ!』で東京でもレギュラー番組や人気番組を持ち始める。ただ『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』の解答者に出てたイメージは、全く無かったですけどね・・・何なら解答者ではなく、逸見政孝 氏逝去後の目も当てられんぐらいひどい状況となったこの番組の司会をやれば良かったのに、同じ関西出身やったんやし。まぁでも、この番組は逸見氏の影響・イメージが、強すぎたから、誰が司会をしても同じ結果やったかな・・・話を戻すと、こうは言いながらも、違う番組に出てても僕は、彼を"局長"と呼んでたぐらいナイトスクープが、当時好きな番組やった!探偵!ナイトスクープ - GRの戯れ言日記 (hatenablog.com)

 彼が出てた・ロケVのあとの的確なコメントや軽妙なトーク・流暢な司会「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流!恵まれない天才、上岡龍太郎です!」を体現してたかな。上岡師匠が司会やったから、熱心に観てたっていうのは、絶対にありましたね!やからプチ上岡ファンでもある訳で、同時間帯で同じアトラクションありのクイズ番組でもこっちのKinki Kidsメインの『バリキン7 賢者の戦略』の方が面白い・面白そうやったのに、敢えて師匠が司会のテレ朝の『超次元タイムボンバー』を観てた(汗)

 立て板に水の如く流暢で噛んだ所を観た事が、無い!ただ自身の限界も若い内から悟っていて、"笑いでは、ノックさんには勝てん。司会や名調子では、浜村淳には勝てん。なら僕は、ラジオ番組内で今ハガキを読んでる間に次のハガキにもう目を通してる(頭の中で読み始めてる)ような「日本一ハガキを読むのが上手い人になろうと思った」、たいしたこっちゃないけどね"といった具合に腕を磨いたようですな。一方で都市伝説で「あんた何も出来ひん人やん」と酷評した事がきっかけで、高島忠夫 氏をうつ病に追い込んだとも言われてるけどな・・・

 引退理由は自身やテレビ業界に愛想が尽きたとかディレクターやプロデューサーの本気度が伝わって来なくなって来ていたとか惜しまれながら引退・ええ時に身を引く方が華、と思い、2000年での58歳での引退はさすがに早いと思ったし、「今後の芸能界はどうなるんやろう?」と思ったけど、何とか回るのがこの世界!本人も若干早かったと、やや後悔してたみたいやけど、それでも復帰を望む声が大きく聞かれても、復帰しなかったのは、ほんまに立派やったと思う!!でも、つい最近の『週刊女性』の復帰して欲しい芸能人ランキングの7位に入ってた(6位は、紳助)し、上位は別のネットランキングでは、長瀬智也や成宮寛貴や渡辺麻友が、入ってたな(フン!)・・・僕がそのアンケートに答えるなら、断トツで上岡龍太郎やったのに!圏外では、桜井幸子も入ってたな、もう美貌は衰えてるけど、惜しいな・・・あと"引退宣言をすればもっと仕事が増えると思った"けど、若干自身を過大評価したのか、増えも減りもせんかったよう(汗)さらに"(引退を)誰か止めてくれると思った"けど、「誰も止めてくれんかった(そらそうやわ、ライバルが勝手にいなくなるんやから、むしろラッキーと思うタレント、多数)」・・・ただ"目標が居なくなるから、辞めないでください!"と必死に止めたのは、島田紳助だけであった・・・長年生粋の阪神ファンであったが、芸能生活の最後の数ヶ月は、99年オフにヤクルト・特に巨人からロートルの様な選手・広澤克実(克己・克)に球団が、背番号31を与えた事に激怒して、最後は近鉄ファンになりましたけどね。芸能界では数ヶ月やったけど、引退後も近鉄ファンを続けてくれたそうやな(週刊朝日によると)。ピチ近鉄ファン仲間としても、お悔やみ申し上げます。母親を食いものにした心霊現象やオカルトや超常現象や手品や占いといった"科学的に説明出来ないもの"を毛嫌いする一面もあった。

 引退後は、ノックや弟子の(青空)テントの葬儀やらに顔を若干出す機会もあったな。ただ2008年頃に公の場に顔を出した際に、当時師匠は普段からレッドカーペットを観ていて、「ラジバンダリ―」・「あると思います」と言っていた事には、かなりショックを受けたわ・・・さらに報道陣に「皆さん、レッドカーペットを観てませんか?」とも問いかけてたし(涙)上岡龍太郎ほどの師匠が、あんな軽薄なショートネタを批評し、観て喜んでるなんて!と・・・個人的感情になるけど、オンバトの名を挙げて、芸人の本来の姿である本ネタを扱ってる方をフィーチャーして欲しかった・・・師匠がオンバトをご覧になってたかは、判りませんがね(汗)上岡師匠を撮影してたカンテレに配慮して、フジテレビ系の話題を挙げたんかも知れんが・・・弟子には、ぜんじろう(金谷善二郎)も、居ます。

 子どもの頃は、横山やすしと区別がつかんかったけど、性格は真逆やがな(少笑)これだけ流暢で喋りの上手い人は、未だに見た事がなく、べしゃりの天才でしたね!!今日のナイトスクープのエンディングの追悼映像と追悼文だけやけども、観たで!今頃、ノック・米朝師匠・談志師匠・枝雀師匠・たかじんらと丁々発止のやり取りをしてるかなぁ。上岡師匠、僕らに楽しい時間を提供してくれて、本当にありがとうございました!!!!安らかにお眠りください!

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