GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

次元の違う話題を2つ・・・

2017-10-12 18:32:05 | 野球

 予期してなかったヤクルトの来季の監督に前監督の小川淳司 氏が、就任する事になりました。第1次政権は2010(この年だけは、代行)~2012年までは、やり繰り上手でしたが、最後の2年は最下位でしたからね(汗)まぁでも、そこまで悪い監督やないし、ヘッドにエロキャプテン(宮本慎也)が帰って来たから!ノムさん曰く"小川は、馬鹿正直というか戦力も無いのに、正攻法すぎるというか奇襲をかけなさすぎる、戦力が劣るなら、もっとサプライズをせんと!"という見方やそうです。前回の代行監督に就任された時に現役時代の事を書き忘れてますな・・・↓

http://forever545kb.hatenablog.com/entry/2010/05/27/011900

 小川氏は、習志野高校時代に投手として1975年夏の甲子園で3試合連続完封などの活躍を見せ、準決勝で肩を痛めながらも決勝で新居浜商に9回裏サヨナラ勝ち、8年ぶりの優勝に大貢献!大学では外野手に転向し、1979年には日米大学野球の代表に選ばれ、原辰徳、岡田彰布と共にクリーンアップを任されている。卒業後は河合楽器に進み都市対抗野球大会に2年連続出場、1981年のオフのドラフト会議で4位指名されヤクルトに入団。1年目から一軍に定着するも、当初は対左投手要員として起用されることが多かった。1984年には右翼手の定位置を得て65試合に先発出場。翌年もレギュラーを守るが、1986年には故障もあり打撃が低迷。その後は荒井幸雄の入団、広沢克己の外野手転向もあって準レギュラーとして起用された。長打力に定評があり、3度の11本塁打をマークしており、1990年は放ったヒット13本のうち7本が本塁打であった。1991年に戦力外通告を受け、1992年、トレードにより日本ハムに移籍し、この年限りで現役引退しました。あんまり意識してなかったけど、大学→社会人出 だけあって、選手時代、まあまあ活躍してますね。

 初期楽天よりもポテンシャルが高いと思うから、巨人に負けじと頑張ってちょ!

 それとソフトバンクが、今シーズンのチームエラー数"年間最少失策数歴代最少数"タイである38個でシーズンを終えました!!おめでとうございました!なお同数の記録保持チームは、1991年の西武でした。しかし守備率は、ソフトバンクが.993(143試合)で1991年の西武が.992(130試合)で僅かにソフが試合数も多い上、西武を上回ってますね!二重に凄い!!近年?では2000年のヤクルト.991です。

 

コメント
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