GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

10年以上経つともはや昔なんか・・・

2015-09-23 21:04:00 | 野球

 松原徹日本プロ野球選手会事務局長が、亡くなられましたね!松原氏といえば、2004年の球界再編時に本当によくあっちこっちに奔走してくれましたし、近鉄・オリックスの合併阻止にも最後まで力を貸してくれましたし、2試合のストライキ決行、労使に関する裁判事項にも折衝していただいて、もう本当に感謝の言葉しかありません(燃)あの年のあなた達の頑張りは、一生忘れません!!!!安らかにお眠りください!!
 さらにその後を追った訳ではないでしょうが、球界再編にも関わった人物が、もう1人亡くなられました!中村勝広 阪神ゼネラルマネージャー(GM)です。チーム帯同時の遠征先(巨人戦ですから、東京ででしたね)で亡くなられたみたいです・・・"勝ちゃん"や"カツ"や悪い使用例と言いながら僕も使ってましたが"負広"の愛称で親しまれた中村氏は、1971年オフに早大から阪神に入団。1年目から頭角を現し1974年には正二塁手となる。以降1978年までレギュラーの座を確保、堅実な守備で1970年代のチームを支えた。また、1978年に残したシーズン守備率.995は当時の二塁手の日本記録である。1980年には岡田彰布やヒルトンが入団したこともあり、コーチ兼任となりました。1982年限りで現役引退、コーチ退任。 1983年から1987年まで阪神二軍監督を務め、一度退団するも、1990年に阪神の監督に抜擢されました!1990年、1991年のチーム成績は最下位、同一監督指揮下での2年連続の最下位は球団史上初であった・・・1995年7月23日限りで途中休養、藤田平 二軍監督が代理監督となった。結局シーズン終了後、辞任しました・・・阪神監督時代は、1992年には優勝争いの2位(同率)・翌年(4位)もさらに翌年(5位)も"Bクラスでも内容は悪くなかった"ですから、彼が色々揶揄される程「そんなに無能とも思えません」けどね(燃)やはり野田浩司⇔松永浩美の"失敗のイメージが、強すぎる"んでしょうなぁ(困)それとやはり「チキン采配」が、ファンを怒らせるんでしょうなぁ(困)阪神時代の1994年には、"6回表ぐらいからもう石嶺和彦に代走や守備固めとして南牟礼豊蔵(阪急・オリックス―中日―阪神)や高波文一を送ったり"、オリックス時代も"6回になると、カリーム・ガルシアやクリフ・ブランボーに守備固めとして大西宏明や下山真二を送ったり"してましたし、動きが早すぎる・焦ってるというか"ビビり"でしたねぇ・・・良く言えば、「堅実」でしたね!!現役時代も同様"堅実・攻守"というイメージで・・・どうしてもオリックス時代の方が印象にあるんで、オリの方が長くなりますがご了承ください(すいません)2003年のオフにはオリックス・ブルーウェーブのGMに就任!2年連続最下位の再建を託され、ダイエーからFAで村松有人を獲得、当時西武の監督を退任したばかりの伊原春樹を監督として招聘しました!しかし新体制も奮わず、6月には近鉄との球団合併が表面化しました(困)結局ファンが支持しない球団合併が行われ、当時の週べによると中村氏も色々「理不尽な扱い」や「理不尽な事を言われた」ようです・・・オリックス・バファローズになってもGM職は継続した為、オリックスでの新規参入球団の楽天との「分配ドラフト」で先に25人をプロテクトの主導をしたのは、中村氏でした。監督には、仰木彬を招聘。シーズン終盤までプレーオフ圏内の3位を狙える位置まで持って行きました。当然?仰木さんはもはや余力が無い為、監督職を勇退し中村氏が監督としてバトンタッチを受けました(少笑)で、GMではないものの、仰木さんがシニアアドバイザー就任と殆どちょうど監督⇔フロント職 と入れ替わった形となりました。2006年に就任した中村氏は、清原和博・中村紀洋獲得にも成功し、ホクホクといった感じでしたね!!まぁ2人の成績は、ある意味予想通りとなり・・・他にも内野手に転向していた裕次郎(筧裕次郎)[近鉄・オリックス]を捕手に再コンバートさせたり、2005年のシーズン終盤にはセカンドで好成績を残してた平野恵一を"体型やプレースタイルで判断したんか、2005年の阪神優勝メンバーであった赤星憲広とダブらせたんか?"外野にコンバートといった所は、結果的には"迷走"も見られましたねぇ(落ち込み)内野席では「中村ー!お前は悪くない、お前を監督にしたフロントが、悪い!!」といった野次も見受けられましたね(涙)翌2007年からは、再びフロント入りで球団本部長に!オリGM時代も2位は2008年のみ2006年の監督時代でも借金29での5位でしたね(汗)2009年は優勝候補も最下位となり、岡田彰布の監督就任?責任を取り?での辞任・・・2012年シーズン途中に阪神初のGMに就任。福留功介、西岡剛、マウロ・ゴメス、建山義紀、呉昇桓といった海外の有力選手を中心の獲得に手腕を発揮(えっ?建山とブルックス・コンラッド[阪神]の失敗は、触れちゃダメ[ダメ])しましたし、"2012年の5位からはチームは浮上しつつあった矢先やっただけに"非常に惜しい形で(涙)オリックス側も人柄も見込んででの招聘やったから、ほんまに人柄は合格やったんでしょう!人柄も「堅実」という言葉が、ピッタリやったような!気遣いも凄かったやろうから、優勝へのプレッシャーもあったやろうし、心労があったんでしょうか?・・・通算成績は、試939 率.249 76本219点 安648/試867 343勝487敗7分 率.434 でした。僕は中村氏を嫌いになれない存在やったんで、これで阪神に優勝して欲しい気もして来ましたねっ!!!

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