GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

客ウケ重視!

2021-09-22 22:41:27 | お笑い考

 正司敏江(正司敏江・玲児)師匠が、亡くなられました・・・1957年「かしまし娘」の住み込み女中となり、デビュー当初の62年、正司芳江、利江(のちの敏江)、春江のトリオで「ちゃっかり娘」というトリオやったっていうのは、知らんかったな!最初から夫婦漫才コンビの正司敏江・玲児やと思ってたわ(汗)詳細でもないけどコンビについては、以前書いてるんでまぁこの世界も色々と - GRの戯れ言日記 (hatenablog.com)

 玲児師匠没後は、ピン芸人となられた彼女は、劇場ではトリを務める事が多く持ち時間を無視する事もしばしばで長々とやってたらしいですよ(笑)特に早々と自ら舞台を降りて、観客に話し掛けながらネタを進行して行くというか観客とのフリートークをも持ち味としてたみたいですし、恐らく客ウケも良かったんでしょう。今の芸人の格好良さでもあるんやけど、客ウケよりも完成度・ネタの精度・斬新さを求める芸人が多い中、特にこの世代の芸人達は、客ウケが最上位という思想が、多数を占めてるように思うな。今でも客ウケ重視は、たけし・中川家・ニューヨークらがそうで、松本人志氏も最近こっちに思考が、傾き出してる(昔では、考えられんかったけど・・・)!ABCラジオで某アナが「着物で髪を括って大きなリボンを着けて」って言うてましたが、近年というかここ20年ぐらいは"着物で短髪やけど、そこに大きなリボンを着けて"やで・・・お悔やみ申し上げます(涙)

 で、締めようと思ったら、勘太郎(岡本善陽)[ホームラン]さんも亡くなりました!コンビ共に金の派手な衣装が、特徴でしたね。1982年、三波伸介の弟子であった たにしと、小野ヤスシの門弟だった勘太郎が1982年、「コント21世紀」の名でコンビを結成。のちに漫才に転向、ホームランに改名する。2006年には落語協会に入会。以後、寄席にも出演していました。まあまあ声が通り、豪快な漫才というイメージやったな。ラジオ・真打ち競演やテレビ・演芸図鑑といったお年寄り向けの演芸番組(→僕には関係ない!、何であれネタをする番組なら!!)にも もちろん出演経験あり。たにしさん、1人ですが頑張って行ってください。お悔やみ申し上げます(涙)

コメント
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