GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

中日3―4DeNA

2018-07-26 00:11:15 | 野球

 結構寝てしもたけど、書いてみます(謝)実は、以前にも中日×巨人を観た時があったんですが、さすがに殆ど観れんかったんで・・・何々?中日は、アルモンテとモヤが、同時に故障でスタメンで出られへんという状況やったら、飛車角落ちで苦しいわなぁ(涙)そのモヤの代わりにスタメンやった松井佑の初回の満塁での惜しいサードゴロは、プーさんの大ファインプレーやったな!他のサードなら、ファインプレー、プーさんの守備やったら大ファインプレーになるやろう(笑)決して守備は上手ないけど、このプレーはようやったな!さらに今季一番勝ち星を挙げてるガルシア(中)が先発投手やって、低めに丁寧に投げてたけど、ソト(D)の上手い打撃により、敗戦投手に・・・中日は、ガルシアで負けたら、かなり苦しい!DeNAは、濱口がキャッチャーが入って来たばかりの光でも熱投で今季、初勝利!ただ光は、ノーヒットやったし、投手がパットンに代わると、守備も嶺井と交代させられた・・・ただ元気な姿を見せてくれた。山崎康の抑えは、危なっかしいなぁ(汗)中日も高橋周が大不振でスタメンを外れ、代打で出場も三振、前日2安打の亀澤の出番も無く、出すタイミングが無かったなぁ・・・

 あと書き忘れまくってましたが、大塚徹(国鉄・サンケイ・アトムズ・ヤクルト―南海)氏が、亡くなられました。大塚氏は、1963年オフに国鉄に入団。1968年に捕手から外野手に転向。同年は23試合に先発出場、一番打者として16試合に起用される。その後もユーティリティープレイヤーとして先発、代打守備固め等、臨機応変に活躍。1971年には主に左投手対策として、自己最多の60試合に先発出場を果たす。1971年オフの第2回選抜会議(トレード会議)[←そんなものが、あったんやな!今週の週ベで初めて知った、いつの間にか直ぐなくなったらしいけど)の対象となり、翌年から南海に移籍。その明るい性格をノムさんに買われ、出場機会は少なかったが、「野次将軍」・ムードメーカーとして常時一軍に帯同し、名を馳せていた。フロントから"試合に殆ど使わないのなら、戦力外"とされていたが、ノムさんの必死の説得によりクビを免れ、年俸もレギュラークラスはあったといわれる。大量失点で負け越していた試合で、4番であるノムさんが凡打で倒れ、ベンチに戻ってくると「監督ほどの高給取りでも打てないんだから、今日はもう気楽に行きましょう!」という元気よい大塚の声で、ベンチに笑いが起きたと言われる。なお記録といえば、選球眼が良く、"サヨナラ押し出し四球"の日本記録(通算4回)保持者である。1975年、現役引退。引退後は地元・土浦市中神立町でスナックを経営。2008年、第6回KOALA CUP(オーストラリア・ゴールドコースト)において、東関東選抜チームを監督として率いて優勝しました。それと息子である大塚淳(ヤクルト)2003~2009年までプロ野球選手でした。通算成績は、試502率.227 2本44点 安178 でした。合掌です(涙)

 それと岡田幸文(ロ)の2017年から続く「54打席連続無安打」"連続打席無安打記録"は、野手では1993年ケルビン・トーベ(オリックス)[→トーベは、1シーズンだけで!やが]の「53打席連続」を抜き日本ワースト記録を更新しましたね(苦笑)投手の連続打席無安打記録は、確かドミンゴ・グスマン(横浜―中日―楽天)が持ってたと思うで。

コメント
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