フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

暫くは、亡くなられた恩師との想い出に浸っていたいです。

2019-04-12 22:54:01 | 想い出
先日亡くなられた恩師の葬儀は、家族だけの密葬で行い、4月28日にお別れの会をなさるとのこと。
大分前の事ですが、学部長だった教授が亡くなられたときも、大學でお別れ会をした記憶があります「。
恩師は名誉教授になられ、大学院ではかなり遅くまで講義をなさっておられましたから、
大學に関係無しの葬儀は出来無いはず、と思っておりました。

学部長の「お別れ会」の時、亡くなられた恩師の奥様が着物をお召しになっておられました。
着物は着ない、と日頃話して居られましたので、本当に驚いたことを覚えております。


お宅に伺った時、先生とお話していましたら、ヨチヨチ歩きの長女が台所におられる奥様の処に行き、
戻って来たとき両手に即席ラーメンを持って居るので驚きました。
二つのラーメンでパチパチ手を合わせるようにして、ガサガサするその音を楽しんでいるようでした。
暫くして失礼する時、奥様の「気に入って居るようですから、どうぞお持ちなって」とのお言葉に甘え、
させて頂き、持ち帰ったことを覚えております。

懐かしい想い出です。その時の娘がもうすぐ51歳になります。長い間お付き合い頂きました。

先生のお宅へ数人で伺ったとき、餃子丼を作って下さいました。
その時も長女が一緒でしたので仕事を早めに切り上げ、迎えにやって来る事になって居ました。
餃子丼は、わたしも初めて戴きましたので、後からやって来る夫も食べたがるはずですから、
奥様にまたお世話になるのは申し訳ありませんから、綺麗に半分、残しておきました。

先生ご夫妻から、このことをいつまでもからかわれました。
わたしの食べかけ、余り物を食べさせた、と言ったり、仲が良いですね、と言ったり…。
食べ物には関心がある人でしたから、話だけでは満足出来無い人ですから、喜んで完食しました。
ご一緒していた友人たちは、ただ笑っているだけでした。

先生のお宅に、20人以上の大勢で伺ったことも有ります。その時は食事では無く御茶でしたが、
当時はペットボトルもありませんでしたから、お湯を沸かして御茶を入れるだけで大変な事です。
2LDKのマンションでした。当時、マンションは殆ど無い時代、殆どが木造のアパートでした。

恩師との懐かしい想い出は、たくさん有ります。
亡くなった方を思うだけで供養になるそうですから、暫くの間、恩師の思い出に浸靇事にします。
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