富島氏初の単行本描き下ろし作品として、S31(1956)年10月、河出書房より発刊された『黒い河』は、S32(1957)年10月、松竹より小林正樹監督で映画化。
原作は未読ですが、映画を某所で見ることができました。
スチール写真より。静子役の有馬稲子とジョー役の仲代達也
大学生 岡田役は永井智雄 西田役は渡辺文雄(←ガーン、なんちゅう間違い! 2016/8/3修正)
まず、映画を見てよかった。原作を読んでないながらも、富島作品の匂いがひしひし伝わり、ポイントを押さえた映画化なのではないかと思わせる。
それは全編に漂う絶望感と、かなしくも凛とした(特に女の)生き方なのだが、まず違和感のない配役がいい。静子役の有馬稲子は本当にうつくしい。仲代、永井のりりしさも写真のとおり。
そして一番は、時代の空気感を知ることができたこと。作中に「貧しい」とでてきても、昭和40年代生まれのわたしの想像力には限界がある。
あばら長屋、破れたふすま、穴だらけの窓、汲み取り式のトイレ、山のように本を積んだリヤカー、衣服の詰め込まれた行李、ポン引きの「カムオン、ハリーアップ」の声、旅館、駅のホーム…
「七つの部屋」や「喪家の狗」の世界が鮮やかになってきた。
ストーリーについては原作を読んでから考えたいが、上に挙げた2作品に印象は近い。ただ、特に暴行相手のジョーになぜかひかれてしまう静子の葛藤が胸に痛かった。
松竹大船撮影所の「大船タイムス」NO.65~2に「殺人という自分自身をも滅ぼすこんな形でしか自分を救えなかつた女の、ギリギリの心理を迫力あるタツチで画面に叩きつけてみたい」という小林監督の抱負が掲載されているのを読んで納得した。
「不良少年の恋」のように、原作にはジョーの心の闇についても描写されているかもしれない。
ネタバレには神経質なわたしだが、この映画を見て本当によかったと思う。原作と映画でうまくおぎないあい、イマジネーションがひろがりそうだ。
「女人」の読み方も変わるかもしれない。真吾や妙子のイメージを再構築する必要があるかも。
作品を読むうえでは“時代”をよく知ることも大切なのだな、と実感させられました。
しかし、映画公開時富島氏は26歳。25歳のときの作品だということにはうなるしかない。