富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

女人追憶 第一部

2010-08-24 17:23:17 | 女人追憶
小学館 昭和56年1月初版
※集英社文庫版では 「小さな光の巻」と副題あり


作者のことば

一人の女体をきわめて女の真実に迫り、男女の関係に悟りをひらき、人間の本質を体得する。そんな驚異の男もいる。
逆に多くの女体を遍歴してなおかつ五里霧中の煩悩にふりまわされる凡夫もいる。多くの男は凡夫の側であろう。ただ、さまざまな制約によって世之介たることが出来ないだけの話である。どんなドラマだって、煩悩はじつは脇役ではないのである。人間が男と女に分けられていることこそ、最大のドラマの原点だからだ。

※『好色一代男』もかじってみるか?

------------------------------------------

正直読むのに気が進まなかった。
どうせ都合いい女性ばっかり現れるんだろう。

そうではなかった、とは言えない。
けれども読み始めてすぐこう思った。

「おんなじだ!」

おんなじとは、つい引き合いに出してしまうが『雪の記憶』のことだ。
初恋の美しさを純化し閉じ込めた『雪の記憶』の世界を
性というレベルから描いた、もう一つの完全なる世界。

しかも『雪の記憶』はあたかも実話のような錯覚を覚えさせるが、
これは、完全なるフィクションの世界に仕上がっている(と思う)。

「都合のいい女性が…」とはまさにその通りで、
主人公である宮崎真吾に、次々と魅力的な女神が手招きする。
そして、年若い真吾はそれにひるむことがない。

現実的にはありえない話。これは、性を通した男性の理想像なのだろうか。

しかし、それに女性ながらの文句をつける気がないほど、完璧なのだ。
「まいった!」と思わず声が出た。

学校や親の信頼も厚い優等生。
女に対しては誘惑に臆したり動じることなく、女をうやまい、喜ばせる。
真吾のプライドの高さが随所にみられるが、「こうせねば」という理想をしっかり実現していっている。

真吾が小学5年生の時から物語は始まるが、いつもの作者を思わせる家族構成とは違い、
真吾が一人っ子であったり母が年若かったりと、
あえて作者から人物像を離して動かしているのかとも思う。

けれども、『本音で語る恋愛論』で書かれていることが随所に見られるように、
物語の底辺に富島哲学があることには変わりない(あたりまえか)。

真吾の女性遍歴である物語のはじまりは、やはり“母”だ。
(母というキーワードも、今度も読書を進めるにあたってのキーワードにしたい)

その後、真吾は、一つ年上の妙子を心情的恋人として持ちながらも、
数多くの女性との関係のなかで成熟し、
不思議な少女、路子と、互いの“実験”という形で初体験を迎える。

不良少女の文江と体験のチャンスがあったとき、
そうすれば、妙子の純潔はそっと保存しておいて真吾は女を知ることができる

とあるように、真吾は妙子には“純潔”を求めているのだ。

結局路子とのあとくされない実験ののち、真吾は妙子と結ばれるのだが、
真吾はそれでも他の女性と関係し続ける。
女性の心理の不可解さを感じ、妙子への若干の?うしろめたさを感じながら。

それでも、妙子とはちがう感覚を楽しみ、それを妙子とのセックスに活かそうとする冷静さ、
自信たっぷりに他の女性に応じる姿は、真吾の成長というべきなのだろうか。

『おさな妻』や『おんなの条件』は、男が女を育てていたが、
この話はその逆であり、また、どんな悪女であっても女神として描かれている。

そうして熟練した真吾の手によってまた、妙子のからだは開かれていくのだ。

そうは言っても、正直後半、元山のおばさん(30代でおばさんだって…)がでてくるあたりから
ちょっと興ざめして、
「いいかげんにしろ!」と思った部分もある。

けれども、愛のない関係に自ら飛び込みながら、心ゆらいでしまう安希子のように、
許してしまうんだなあ。この作品は富島マジックの集大成だな。

もうひとつ、この作品は時代がはっきりしており(昭和18年から物語は始まる)、
作者は性愛のみならず、この動乱の時代についても描きたいのではないかと思わせられた。
(このことを考えるにはまだ私の読み込みは足りないので、いつか先の課題としたい)


さて、物語に登場するすべての女が都合のよいものだっただろうか。

私は女郎のみよに悲しさを感じた。
みよが真吾を愛していたのかどうかはわからない。
けれども、読んでいてつらかった。何がどうってことは言わないが、
嫌われてもいいからすがりたい、そんな気持ちになることはあるのだ。(※)

また、真吾が中2のときからだをあげる約束を交わした千鶴が、
結婚前に真吾に抱かれながら、「忘れないで」と繰り返していたのが印象に残った。

富島作品を読むと「なんでこんなところで?」と思うような箇所で心が反応することがある。
今回は意外にも路子のセリフだった。

まるで人形のように真吾に処女をささげた路子。とても共感しようがない。

しかし、路子が北海道に去るときの、

「きみのぼくへのプレゼントを考えたら、当然だよ」
「あら、あたしだって大きなプレゼントを受けたわ。あのせせらぎの冷たさも、忘れないわ」


このセリフを読んで、なぜだか胸がくるしくて涙が出た。

女は、“忘れられたくない”とともに、“忘れたくない”ものなのかもしれない。


妙子が社会人となるところで第一部は終わる。


2010年8月17日読了


※第二部についてはまた1か月後くらいに上げます。



※8月26日訂正:
後半みよについて
「あんなふうにすがってでも、嫌われたくない」逆です。訂正しました。