富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

『圧殺の森 -高崎経済大学闘争の記録-』といったんまとめ

2012-02-09 11:10:43 | ☆学生運動と60~70年代

監督:小川紳介 1967年、モノクロ、105分、16mm 
2012/2/3 オーディトリウム渋谷「映画祭1968」にて

「大学側の不当な…」といったナレーションや効果音、演出などで、学生側の視点で作られたことがうかがえる。『日大闘争』『パルチザン前史』が“記録映画”なのに対し、これは“ドキュメンタリー”と言えるだろう。

『日大闘争』のように、運動の発端は学校の不正(裏口入学)。学校側の呼び出しに応じるか応じないかというところで映画は始まる。学生個人個人に焦点を当て、状況より心情に迫る撮り方をしているような印象だった。デモのシーンも少ない。

「生きるとはどのようなことか、何のために苦しい戦いをしているのか」学生たちの言葉は哲学的だ。同時に、運動から離脱するもの、突然尾瀬に行きたくなるもの、親との対立…。学生らしい心の迷いもうかがえる。

「学生ホールの封鎖」に反対して立てこもる学生たち。水浴びする姿はさながら普通の夏休みだ。しかし、学校側は彼らがアルバイト中を狙い、2時間だけ「退去勧告」の貼り紙を出すという“卑劣な”手段を用いて逮捕に持ち込む。裁判所になだれ込む覆面の学生たちとアジテーション(“全共闘”でなく“全学連”の時代で、ゲバ棒やヘルメットは身に着けていない)には激しさを見たが、ナレーションや演出とはうらはらに、それでも全体的に“静か”な印象しか得られない。

タイトルは『圧殺の森』だが、背景を知らないから、木かせいぜい林しか見えないのだろう。正直この作品がいちぱんよくわからなかった。ただ、その静けさの中にあるべき学生たちが、「逮捕」や「指名手配」という事態に巻き込まれることが異常なのだと、あとになりじわじわと感じられてきた。

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中学生の時から60~70年代にひかれていたわたしは、必然的に学生運動にも興味を持った。けれども、当時のわたしには書籍を読んでそれを理解できる頭もなく、真崎守の『共犯幻想』を読んで何となく雰囲気にひたるだけだった。大学生になって高野悦子の『二十歳の原点』も読んだが、同じく雰囲気だけ。

それから20年以上たって、ようやくいろいろなことを考えたり、調べたりしたわけだが、わたしの感想は観念の域を出ない。実体験にはかなわないのだ。

「あの時代に生まれていたら、学生運動で命を落としていただろう」とずっと思っていたし、そう言われたことも一度ではない(こっちから何も話してないのに!)。けれども最近は、冷めた目で運動を批判していたのではないかとも思うのだ。それは、あまのじゃくなわたしの資質なのだが。

ネットで、今でも全学連があり、各地で学生運動がおこなわれていることを知った。わたしが大学生の時、何をしただろうか。今、何をしているだろうか。

この感想はアタマと心に頼った観念的な産物だ。ただ、3本の映画を見て、ブログの感想をいくつかもらって、多面的な目で物事を見なければならないと思ったのは一つの気づきだった。歴史を見るときは、特にその意識が重要になると思う。わたしの感想は、一つの視点にすぎない。

 

 

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『共犯幻想』はひさしぶり…といってもたぶん1~2回しか読んでいなかったから20何年振りに読んだ。これも観念重視の作品だけどあまり好みではなかったな。中学生のときよりは理解できただろうが、抜けてる一巻も読めばまた違うのだろうか。
『はみだし野郎』シリーズは、『子守唄』『挽歌』『死春記』と全部読むといっそうしびれます(『子守唄』虫プロ版持ってるけど行方不明)。

「四角い荒野」から(『はみ出し野郎の子守唄』)



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