抹茶コーチのFOOTBALLあそびLIFE

サッカー・メンタルコーチとして「教えない指導」を実践中!毎日の試行錯誤をお届けします。

『鳥人幸吉』

2007年08月29日 08時54分33秒 | サッカー以外
先日、岡山県玉野市とのサッカー交流について報告しましたが、
どんな縁での交流かを書いていませんでしたので、ここでお話しします。

たまにはサッカー以外の豆知識も必要です。

--世界で初めて空を飛んだ男『鳥人』浮田幸吉--
天明6年(1786年)旧暦6月のある夜、岡山市の中央を流れる旭川にかかる橋の欄干から、一人の男が空中に飛び出した。この男が「鳥人幸吉」こと浮田幸吉であった。
岡山市の南、玉野市に生まれ、傘職人や表具職人を経ながら細工の技を磨いた幸吉は、いつの頃からか鳥のように空を飛ぶことに興味を覚え、近くの寺の境内でハトを捕まえては翼の大きさと体重を計り、自分の体に合うように竹と紙で翼を作って両脇にくくりつけ、胸の前の棒を動かして羽ばたく仕掛けを考案した。
空中に飛び出した幸吉は、腕力の不足から羽ばたきこそできなかったものの、約50m程を滑空し、無事に河原に着陸した。人類初と言われるライト兄弟の飛行より118年も前のことであった。
この事件で岡山を追われた幸吉は静岡に移って雑貨商を開業したが、空を飛ぶことへの憧れは忘れられず、51歳の時に安倍川で再び空中散歩を行って静岡を追放され、知人の世話で見付宿へ移り住んだ。
見付郵便局も付近で飯屋を営んだ幸吉は弘化4年(1847年)8月21日、90歳で波乱の人生を閉じた。見付二番町の大見寺には幸吉の墓石が現存し「世界で初めて空を飛んだ男」として語り伝えられている。
<「磐田ものがたり」より引用>

※この文章は、又一庵さんの商品『幸吉まんじゅう』にも使われております。


補足を一つ。
玉野市を追われたのは、「奇行をもって人を騒がせた」という理由。
あわや打ち首になるところだったそうです。
静岡市を追われたのは、駿府城の上を旋回したため「曲者」とされたらしいです。

そりゃそうだ!



昔から夢を追い求める人間ってカッコイイですね。
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