今日の日経新聞のスポーツ欄コラムに三浦和良選手が投稿されていました。
先般のゼロックススーパー杯での審判の判定について語られていました。
審判に対して解説者(プロ)なら「間違っていると」はっきりと批評すれば良いい。それは批判や中傷ではなくて、レベル向上のために必要な事 と書いてました。
ただ、最後に、このようにも言っておられます。
(以下 記事より出典)
『審判の目線で考えると、難しさがよくわかる。
僕は審判のトレーニングを見学したこともあるし、各クラブ向け判定講習会も毎年受けている。
その講習会のプレー映像を見ると、一瞬の出来事だから反則かどうか判定できないものの方が多いんだ。
若い頃は「この審判サッカーを知らないな」と思うことが多かったけれど、実は知らないのは僕の方だったんだろう。
判定の難しさが分かれば、審判に対する見方も変わってくるんじゃないかな』
誤審を指摘するのは悪い事ではないと思います。
ただ、相手が間違っていると言って一方的に正義をかざし詰め寄ることは、将来のサッカーを考えての行為でしょうか。
会話は、相手の意見を受け入れる姿勢で相互が会話をスタートしないと良い意見も全て悪意に感じ将来の対策をお互いで考える状況へは導いてくれません。
このようなケースは、必ず 今の結果に対する善悪の二者選択から始まり、その論議には自分なりの正義として「将来の為、今後このような事が起きない為」と後付で目標が出てきます。
★★ これは逆です!!
大人なら「将来同じことが発生しないように」を最初の目的として会話しなければなりません。
それは、先に述べたようにお互いが受け入れる事の出来る同じ方向を見た会話の場を作りスタートしなければ、正面衝突から出る答えは破壊しかないからです。
販売会社の上司が会議のスタートで「なぜ売上が達成しないんだ。お前達が真剣に仕事してないからだろ。意見があったら言ってみろ!」と言われたら
どんな会議の結末となるでしょうか。
「僕たちはやってます!(勇気のある人です)」→「だったら数字で結果が出るだろう」→「競合も激しくて」→「分析が足りんのだ」→「・・・」→「とにかくやる気を見せろ」→「(心の叫び)お前がやれよバーカ」 極端ですが、こんな感じの会議になっちゃうんじゃないですか。
具体性の無い解決策の無い無駄な時間だけが過ぎていく・・ です。
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