映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(清水・鞍馬)「清水寺本堂」

2006-08-03 00:17:57 | 旅 おでかけ
 いよいよお馴染みの清水寺本堂です。この建築物も江戸時代初期のものですが、まろやかな東山の風景に合わせたかのような建物の曲線は、ちょうど平安時代の優雅な様式を受け継いでいます。
 この建物は寛永10年(1633)に再建されましたが、平安貴族の邸宅を思わせるような檜皮葺きの屋根の本堂の優美な姿は残念ながら、写真でしか見たことがありませんがほんとにいいものですね。
 
 

(清水・鞍馬)「清水寺阿弥陀堂」

2006-08-03 00:17:26 | 旅 おでかけ
 本堂にお参りしてから訪れたのが、今日の目的のお堂「清水寺阿弥陀堂」です。このお堂は嘉永8-10年(1631-33)に再建されたお堂で、これも国の需要文化財に指定されています。ここは法然上人が我が国で初の常用念仏を修められたお堂として、阿弥陀如来と共に法然上人の坐像も安置されています。
 
 「阿弥陀堂」と云えばあのオウメ婆さんが、お祀りしていた映画「阿弥陀堂だより」のお堂を思い出します。北信濃の美しい落ち着いた風光の中の、ひっそりとしたたたずまいや美しい四季の移り変りに、深い安らぎを感じた方もいられたと思います。
 映画の舞台になったお堂はこの清水寺の阿弥陀堂に比べれば、規模から云えば比較にならないぐらい質素なお堂です。
 しかし信仰というものは単に外見で左右されるものではなく、ほんとの信仰心と云うものは、どんなに粗末なお堂であろうとも、自らの意思で阿弥陀さまや祀られている人たちのお守りにいそしむ、おウメ婆さんや村人たちの心の中に宿っているのでしょうか。
 そしてあのおウメ婆さんによって癒された映画の中の人たち…
 あるいはあの映画を見られて、なにかを感じ取られたすべての人…
 日常は気付かなくてもそれぞれの方々の、心の中にあるのでは…などと感じました。

〔シネマ雑記帳)(88) 「四月の雪」

2006-08-03 00:08:38 | 映画
   それははかない恋だった
   どんなに舞い降りても積ることのない
   四月の雪のように… (韓国映画「四月の恋」公式ホーム・ページより)
 
 こんなに内容と単純に一致した判り易いタイトルや宣伝コピイは珍しいようです。
結末はどうなるのだろうか?などと、はらはらどきどきする必要ははありませんね。最初から「悲恋」だ…と判っているのですから…
 私はこれとよく似たフレーズを思い出しました。それはフランス映画「ガラスの城」の宣伝コピーでしたが
   ガラスの城のように
   美しくも はかない悲恋の末路…
 当時のフランス映画界のトップ・スターのジャン・マレエとミシエル・モルガンのラブ・シーンがあって…観る前から、内容と結末が判って仕舞いそうな映画でした。結局は予告編を見ただけで終わりましたが、昔の映画はタイトルと宣伝文句で、お客を寄せ集めたり、こちらも乗せられたものでしたが…。
 最近はタイトルを見たり聞いたりしただけでは、内容は勿論のことジャンルすら」判らず、DVDなどのケースをチラリと見てから「ああ、止めとこか…」と云うこともも多いようです。
 
 冷めた視点で見ればこの映画のようなケースが、実際にあるのかどうかは疑問ですが、普通は自分の夫や妻を奪った相手には、憎しみを持つものじゃないかな…?よく判りませんね。
 でもこの映画では不思議な運命に引き寄せられるように、二人が愛し合っていく経過にそれ程不自然さはや違和感は感じませんでした。
 自らの夫や妻が起こした事故で亡くなった人の家を訪れて、遺族から責め立てられる場面は妙に生々しくて、なにかやりきれない思いになりました。
 偶然の出会い…事故を起こした二人の配偶者の一方は意識を取り戻し、もう一方はこの世を去り…やがて訪れて来た別れ…でもそれ程深刻さがなくて、サラリとした別れだったような気がしました。
 セリフが少ない…というのが共通した見方のようでしたが、私はストリーが判れば別にそれでもいいのでは…と云うような気がしましたが…。
 それにしてもストリーが単純で判り易かった…私にはこれが一番有難かったです。

  「清水・鞍馬」も見て下さいね。
     ↓
 
 

 
   

(清水・鞍馬)「京の坂みち 道しるべ」

2006-08-03 00:08:07 | 旅 おでかけ
 坂道が多いところで有名なのは長崎…それに尾道でしたね
 東山山麓のこのあたりも負けずに、本当に坂道の多いところです。
 勿論、坂道の一つづつに名前がついています。今がた通って来た「一年坂」「二年坂」今度は「三年坂」になります。
 ここで石の道しるべを見つけました。それには
     東山散策道路 
      京の坂みち
       三年坂より高台寺に至る
と記してありました。
 では、なぜ「三年坂」なのか…
  その一 大同3年(808)に作られたから…「三年坂」
  その二 安産祈願のための清水寺の「子安観音」への参道だったから… 
  その三 秀吉の正夫人「寧々」さまのゆかりの道だから…「三寧坂」
 「二年坂」と同じでの諸説があるようですが、このあたりはあまり深くこだわらないでおきましょう。
 このあたりは国指定の「重要伝統的建造物保存地区」になっているそうです。   
 

(清水・鞍馬)「清水寺仁王門・三重塔」

2006-08-03 00:07:35 | 旅 おでかけ
 清水坂を上がって行くと仁王門と三重塔が見えて来ました。朱色の鮮やかさが目に沁みます。高台寺からどのくらい歩いたのでしょうか…でも、あちこち覗きながら登ってきたので、それ程は遠かったとは思いませんでした。
 また絵葉書の説明みたいなになって仕舞いますが、清水寺の開創は奈良時代末期の宝亀9年と言われます。
 仁王門は室町時代の建立で平成15年に解体修理されたそうです。また三重塔は江戸時代初期の建立でこれも昭和62年に解体修理されています。いずれも重要文化財ですが、先人達の作られた貴重な文化財を守って行くのには大変な努力が必要なのですね。