映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(たまには本を…)「太平洋物語」

2006-08-01 00:18:15 | 読書
 私が少年時代に愛読した本の中に「太平洋物語」と云うのがありました。表紙は大航海時代に活躍した大型帆船が航行する絵が描かれていました。
 その本にはコロンブス マジェラン コルテス ピサロなど新大陸や新航路の発見者、あるいは古代アステカ王国やインカ帝国の征服者などの冒険が記述されていました。
 「事実は小説よりも奇なり」と云う言葉を聞きますが、その中に描かれていた一つの事実に私は凄く惹きつけられました。
 
 世界でも有数の強大な海軍を持つイギリスで実際に起きた事件
 舞台は花咲き果実溢れる常夏の島 黒髪と小麦色の島娘…タヒチ島 
 訪れる人も船もない地図にもない絶海の孤島…さい果ての島…ビトケアン島
 
 この事件を元にした原作もあったのですが、この本で要約を読んでイギリス海軍を揺るがしたこの大事件に、私はすっかりハマリこんだのです。それは単なる事件や冒険と云うよりも、そこに秘められたロマン性を発見したからでした。
 何度も何度も繰り返して読んだので、筋書きも登場人物もがすっかり身に染み付いて仕舞いました。その本もおそらくオンボロになっていつの間にか、廃棄物として処分されたのか手元にはありません。
 ふとしたきっかけでストリーをどの程度まで覚えているか…少ししんき臭いですが記憶力テストのつもりで、覚えている分だけ書いてみようかな…と思い立ちちましたので我慢してご協力下さいね。
 
 時は18世紀頃のイギリス…一隻の戦艦が本国を後に長期の航海に向かいます。目的は南太平洋の島に植生する「パンの木」の採取のためでした。
 指揮官のブライ艦長は航海技術者としては、優秀な腕を持っていましたが部下に対して規律に厳しく、少しのミスでも非常に過酷な制裁を加えていました。
 本国を離れて数万キロの航海が終わり到着したタヒチ島で、乗員達は島民達の熱烈な歓迎を受けて、今までの苦しい航海の苦労も忘れそうになります。
 ミュージカル映画「南太平洋」はタヒチとハワイを、取り混ぜたような架空の島を舞台にしたそうですので、イメージとしてはあの映画で描かれた南海の楽園の情景を想起して見ましょう。
 やがてタヒチ島での任務を済ませて帰国する日が来ましたが、乗員達はこの島から去ることに気が進まず憂鬱な表情と、後ろ髪を引かれる思いで島を出港します。
 再びブライ艦長の猛烈なしごきが始まり、遂に犠牲者が出るに及んで次席のクリスチャン副長は艦長を拘束して指揮権を手中にします。
 そして停船するとボートに艦長と彼に従がう部下を乗せて、太平洋の真ッ只中へ放逐します。漂流する艦長たちのボートの位置は、一番近いティモール島でも数千キロはあると思われます。
 ブライ艦長たちを乗せて茫洋たる太平洋の真ん中に、取り残され漂流するボートは、果たして陸地に辿り着くのでしょうか…
 
 再びタヒチ島へ戻った副長クリスチャンはじめ、乗員たちも決して安泰ではありません。もし事件が本国に判ると反乱罪で直ちに逮捕そして処刑が待っています。
 部下の中にはすでに島の女性と恋仲になっていた者もいますが、この島に住むのも地獄…島を去るのも地獄…乗員たちは辛い選択を迫られます。
 島に残って恋人の女性と暮らす決意を固めた乗員たち…
 楽園を捨てて漂泊の旅に出たクリスチャン副長とその部下たち…
 いずれの道を選んでも祖国を捨てた反乱者たちに違いないのです。
 果たして彼らに安住の地はあるのでしょうか…

 この本に書かれたコロンブスやキャプテン・クックなどの冒険者の物語とは、一味違った感触で私は彼らの運命に心を痛めながら、ページを追っていたことを昨日のことのように思い浮かべます。       
                      (以下次号)

 どーゆう訳か…ページの下の余白が多く空いてしまいました。
 写真を入れなかったからかな?


 
 引き続いていつもの「清水・鞍馬紀行」の続きを読んで下さい。
 下のページです。


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(清水・鞍馬)「二年坂」

2006-08-01 00:17:43 | 旅 おでかけ
 又も来ました…二年坂…ですが今日は「日和」の二年坂です。
 この坂は高台寺から清水寺へ行く時には必ず通りますから、観光客の方にも割合とお馴染みの場所ですし私も好きな場所です。
 では、なぜ「二年坂」と云うのでしょうか?以前から少し気になったので調べて見ました。
 その一 この道が出来たのが「大同2年」(807) だったから「二年坂」
 その二 「三年坂」の下だから当然ながら「二年坂」
 と云うことは、今まで通ってきた道は「一年坂」…そう、そうなんですよ。この道を高台寺のほうへ戻れば一年坂…一念坂…一寧坂…どれが本物か、知りませんが「〇年坂」の方がなにか馴染みがありそうです。
 
 この近辺に竹久夢二が住んでいたという住居跡があるそうです。
 彼が東京日本橋の裕福な問屋の娘…笠井彦乃と短くも幸せな日々…をこのあたりの寓居で送ったと云われます。