映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(映画音楽)(92)「八十日間世界一周」

2006-08-24 00:14:57 | 映画音楽
 この映画は…と云うよりもこの映画の音楽について、以前にブログで触れたことがあります。
 ずい分以前のことですので全文を再録してみますと…<>の部分です。
<「八十日間世界一周」(ヴィクター・ヤング・オーケストラ)>
 <この映画ほどタイトルや音楽をよく耳にする割合に、内容を知らなかった映画は少ないようです。とにかく知っていることは、つまらないワン・カット撮るために、ハリウッド・スターが総動員?されたとかいう「伝説的事実」が‥と云う程度でした。
 これも筋書きが単純で私にも理解できそうな映画でしたが、日本で公開された1957年と言えば私の映画熱は早くも下り坂で関心も薄かったようです。
 それで前記のようにそんなに大勢のスターが出ていたのか‥と云えば、シャルル・ボワイエ シャーリー・マックレーン マレーネ・デトーリッヒ フランク・シナトラ等々これやっぱりホントのハナシでした。
 
 信じられないのは「地上より永遠に」で華やかなミュージカル・スターから、シリアスな俳優に転進したはずのフランク・シナトラが、登場したもののセリフは一言もなし‥と云う有様だったそうで、やっぱり「錨を上げて」の時代が彼にとって最良の時代だったのでしょうか。1950年代後期のハリウッドにおけるミュージカルの、構造変化を象徴するような出来事でした。
 
 もう一つの驚き‥それはこの映画が1956年度のアカデミー音楽賞を受賞していますが、しかし音楽担当のヴィクター・ヤングは、受賞の四カ月前すでに他界していました。
 しかも‥しかもですよ!「シェーン」「ジャニー・ギター」「エデンの東」など不滅の名曲を生み出した、あのヴィクター・ヤングのオスカー受賞はこれが初めてだったって‥‥彼が手がけた映画音楽は約350本、アカデミー賞にノミネートされること22回‥‥遅すぎた没後のオスカー受賞‥‥そんな馬鹿な!私はこの記事を読んで何故、生前に贈ることが出来なかったのか‥残念に思いました。
 半世紀以上も経過した今頃になって、私ごときが文句を言ってもしょうがありませんが‥所詮、届かかぬ遠吼えに過ぎませんが…
 しかし私は1956年11月‥‥この偉大なる「映画音楽」の巨匠が他界した年月を、永久に忘れることは出来ないと思います。>

 引用が目茶に長くなりましたが、そんな訳でこの映画の音楽はサントラCDがあるので、時々聴いていますが映画自体については、レンタル屋でも眺めるだけであまり関心がありませんでした。
 ところが先日NHK-BSで放送されていたので、録画しながら観ていました。すると時々画面の粒子が粗くなったり縞模様が出たり、不調になって来て結局は写らなくらなくなりました。そのうち雷鳴が轟き大雨になって来ました。
 他のチャンネルは大丈夫でしたが関西一円で雷雨を伝えていました。
 そのうち普通に写るようになりましたが、最初と最後の方が見れただけで少し興味があった「日本寄港」の部分が全然観られませんでした。
 
 アメリカ大陸横断あたりや大西洋横断そして最後の「どんでん返り」などの部分は普通に観ることが出来ました。
 それにしても先住民の扱いは昔の西部劇と、全く変っていないのには失望しました。先日の「ライムライト」でチャツプリンと共に熱演した、バスター・キートンが大陸横断鉄道の車掌役で出ていたのが面白かったです。
 ピアノを少し弾いただけで「セリフ全然なし」のフランク・シナトラ…こんな程度の役なら出ないほうがマシでした。「地上より永遠に」のあの熱演がパーになりました。(写真)
 
 この映画を作ったマイケル・トッドはその後、エリザベス・テイラーと結婚…そして事故死…寂しいリズは私のアイドルだったデビー・レイノルズの旦那と「世紀のスキャンダル」…とハリウッドでいろいろの騒動を巻き起こしました。
 気になる方は私のブログ…エディ・フイッシャー「オー・マイ・パパ」(Oh My Papa)の記事をご覧下さいね。
 この映画もいずれ私のメモリーから消えて行くようですが、この「映画」を忘れてもこの「音楽」だけは私の脳裏に永久に残ると思います。
 
 

 
 

 

(バーチャル・ツアー)(13)「氷壁…その後」

2006-08-24 00:13:10 | 旅 おでかけ
 「氷壁」の続きです。
 残り僅か10m…この時…小坂は魚津の5mほど斜め横の岩に、張り付いて作業をしていましたが、その時に突然小坂の身体は、<短い烈しい叫び声>と共に<雪煙の海の中へ落ちて行った>のです。
 この時ザイルは自然に切れたのか…
 それとも美那子への思いを断ち切るために、小坂自身が自ら生命を絶ったのか…
 多くの謎と二人の女性の愛の行方を追いながら、白銀と初夏の穂高そして上高地を舞台に物語は展開して行きます。

 映画でも仲間達が小坂の遺体を荼毘に付す場面で歌われた歌を、この小説では
   <雪ヨ、氷ヨ アズサノ青ヨ 
    フユノ穂高ニ マタヤッテ来タ>(原文のまま)
と云う歌詞で書いてあります。
 それを見つめる魚津の様子を<涙がとめどなく溢れ、頬に流れ落ちた>と描写しています。歌詞は少し違いますがこの歌を聴くと、山男として友を失った魚津の気持ちに、映画を見ながら感動したことを思い出します。
 「雪山讃歌」で知られるこの歌を聴くと原曲の「愛しのクレメンタイン」や映画「荒野の決闘」よりも先に、小説と映画の「氷壁」を思い出すのは私だけ…でしょうか。

 兄を失い益々魚津に傾斜して行く小坂の妹、かをるの気持ちを受け入れた魚津は、二人で穂高へ行こう…とかをるに云います。かをるは無邪気に喜びますが彼は小坂と同じように、美那子に惹かれていたし美那子の幻影を、小坂が眠る穂高へ置いて来たかったのでしょうか…
 魚津はかをると徳沢小屋での再会を約して、今度は岐阜県側から穂高登頂に挑むのですが…
  
 数十年前…この小説を読み終えた私は、なにか軽い疲れと重々しい衝撃に包まれて、しばらくは仕事が手につかなかったように思います。
 その後に見た映画「氷壁」…美那子役の山本富士子の美しさもさることながら、かをる役の野添ひとみの清楚さに惹かれたことを、昨日のことのように思い出すのです。