お盆にテレビで放送されていたこの映画を見て、私は幼少時代に立ち戻ったような気分になりました。
映画で子供達が楽しみにしていた修学旅行は対岸の四国の高松でした。金比羅さんのあの長ーい石段…元気いっぱいの子供達には、なんの苦にもならなかったのでしょう。
戦争を挟んでの二十年近くの歳月の間に、大石先生(高峰秀子)は愛する夫と教え子を失いました。
瀬戸内海に浮かぶ小豆島の風景を叙情的に描きながら、その一方で戦争の深い傷跡と非情さを余すところなく抉り出します。
あの頃に生きた年代の人なら判るのですが、あの戦争に疑問を持ったとしても、口にすることは不可能な状況でした。私の知ってる限りでは、そのようなな先生は記憶にありませんでした。
以前にもブログで触れたと思いますが担任の先生が、戦場へ赴く前にはなむけとして「軍歌」の代わりに、「流行歌」を歌うことを所望した…ぐらいが、ささやかな…そして、せいいっぱいの抵抗だったのかも判りません。
もし、もしも…ですが、日本中に大石先生みたいな人が大勢いたら、歴史の流れも少しは変わっていたのではないでしょうか。
ここで想起するのは「国賊」として批判されながらも、断固として信念を曲げなかった与謝野晶子の存在です。
最終的には世間もあの「君死にたまふ勿れ」を許容せざるを得ず、この詩は不朽の名作として現在も生きています。
その後も大正時代デモクラシーの時代にかけて、平塚明…らいてうと共に「青鞜」「新しい女」の一時代を形成した私が敬愛する女性の一人でもあります
少し古い考えかも判りませんが発展途上にあったとは云え、明治時代の方があらゆる言論が封殺されていた昭和の一時期に比べれば、まだまだ余程おおらかな時代だったのでは…などと思うのです。
映画で子供達が楽しみにしていた修学旅行は対岸の四国の高松でした。金比羅さんのあの長ーい石段…元気いっぱいの子供達には、なんの苦にもならなかったのでしょう。
戦争を挟んでの二十年近くの歳月の間に、大石先生(高峰秀子)は愛する夫と教え子を失いました。
瀬戸内海に浮かぶ小豆島の風景を叙情的に描きながら、その一方で戦争の深い傷跡と非情さを余すところなく抉り出します。
あの頃に生きた年代の人なら判るのですが、あの戦争に疑問を持ったとしても、口にすることは不可能な状況でした。私の知ってる限りでは、そのようなな先生は記憶にありませんでした。
以前にもブログで触れたと思いますが担任の先生が、戦場へ赴く前にはなむけとして「軍歌」の代わりに、「流行歌」を歌うことを所望した…ぐらいが、ささやかな…そして、せいいっぱいの抵抗だったのかも判りません。
もし、もしも…ですが、日本中に大石先生みたいな人が大勢いたら、歴史の流れも少しは変わっていたのではないでしょうか。
ここで想起するのは「国賊」として批判されながらも、断固として信念を曲げなかった与謝野晶子の存在です。
最終的には世間もあの「君死にたまふ勿れ」を許容せざるを得ず、この詩は不朽の名作として現在も生きています。
その後も大正時代デモクラシーの時代にかけて、平塚明…らいてうと共に「青鞜」「新しい女」の一時代を形成した私が敬愛する女性の一人でもあります
少し古い考えかも判りませんが発展途上にあったとは云え、明治時代の方があらゆる言論が封殺されていた昭和の一時期に比べれば、まだまだ余程おおらかな時代だったのでは…などと思うのです。