映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(シネマ雑記帳)(90)「二十四の瞳」

2006-08-18 00:03:44 | 映画
 お盆にテレビで放送されていたこの映画を見て、私は幼少時代に立ち戻ったような気分になりました。
 映画で子供達が楽しみにしていた修学旅行は対岸の四国の高松でした。金比羅さんのあの長ーい石段…元気いっぱいの子供達には、なんの苦にもならなかったのでしょう。
 戦争を挟んでの二十年近くの歳月の間に、大石先生(高峰秀子)は愛する夫と教え子を失いました。
 瀬戸内海に浮かぶ小豆島の風景を叙情的に描きながら、その一方で戦争の深い傷跡と非情さを余すところなく抉り出します。
 あの頃に生きた年代の人なら判るのですが、あの戦争に疑問を持ったとしても、口にすることは不可能な状況でした。私の知ってる限りでは、そのようなな先生は記憶にありませんでした。
 以前にもブログで触れたと思いますが担任の先生が、戦場へ赴く前にはなむけとして「軍歌」の代わりに、「流行歌」を歌うことを所望した…ぐらいが、ささやかな…そして、せいいっぱいの抵抗だったのかも判りません。 
 もし、もしも…ですが、日本中に大石先生みたいな人が大勢いたら、歴史の流れも少しは変わっていたのではないでしょうか。
 ここで想起するのは「国賊」として批判されながらも、断固として信念を曲げなかった与謝野晶子の存在です。
 最終的には世間もあの「君死にたまふ勿れ」を許容せざるを得ず、この詩は不朽の名作として現在も生きています。
 その後も大正時代デモクラシーの時代にかけて、平塚明…らいてうと共に「青鞜」「新しい女」の一時代を形成した私が敬愛する女性の一人でもあります
 
 少し古い考えかも判りませんが発展途上にあったとは云え、明治時代の方があらゆる言論が封殺されていた昭和の一時期に比べれば、まだまだ余程おおらかな時代だったのでは…などと思うのです。
 
 


(バーチャル・ツアー)(7) 「田代池」

2006-08-18 00:02:00 | 旅 おでかけ
現在の道で大正池から約1キロ 自然研究路と名付けられた散策路が整備され田代池まで続いていて、この道を辿って行くと約20分で「田代池」に出ます。
 この古い写真の正面は穂高岳で右側は明神岳です。水深が浅くて浮島が多く高山植物のシャクナゲや、珍しい水生植物が見られます。浮いてぶわぶわとした不安定な基盤の上にシャクナゲやカラマツなどの草木類が繁っています。
 レンゲツツジ イチョウバイカモ ケショウヤナギ シラビソなどの、珍しい植物が生い茂り、小川には岩魚(イワナ)が泳ぎ、穂高連峰を真正面に眺められる贅沢な遊歩道です。
 この池も土砂の流入で少しづつ狭くなりつつあるようです。
 猟師とか樵人(きこり)ぐらいしか、訪れる人がなかったこの人跡未踏の土地に、明治時代に登山家のウオルター・ウェストンが訪れて、急に有名になり彼の功績を称えた記念碑がこのあたりにあります。
 大正池ー田代池(20分)-田代橋(20分)-ウェストン碑(5分)

そろそろとバーチャルにも飽きて来たし、このあたりでほんとに一度行って見たくなって図書館で「関西発マイカー登山便利マップ」なる本を借りて来ました。 
 名神一ノ宮ICから東海北陸自動車道へ…ひるがの高原SA(休)-高山西
 高山西ーR158-平湯温泉…ここで車を駐車する。
 ここからはバスで上高地へ…大正池バス停で降りる
 ここが、これからの上高地探索の起点になります。
 そして、今夜の宿は…大変だっ!まだ決めてないんだ!
 徳沢園?予約もせんと…それはムリ ムリ…
 しゃあないな…今夜はおとなしく家へ帰って寝よか…なーんて…
 このあたりはどうにでもなるのが、バーチャル・ツアーのいいところです。