昨日もギリギリセーフの際どい展開であった。
「プルプルッ」2日の昼、友人のM氏からの携帯電話が鳴る。「岡崎さん、今保内におるんやけど、東洋紡の跡の煉瓦塀が壊されよるヨ。」
あちゃー、そう言えばこの前、C電機が使用してた場所に八幡浜のH蒲鉾が進出する言うてたナァ。とっさに、その時、東洋紡の煉瓦塀は大丈夫やろうか、という話をしたのを思い出す。ウーン、拙者今は急ぎの原稿と首っ引きで伊予市を動けず。
現場状況をよく聞き、早速保内の友人にTEL。つながらない。
商工会のH氏が電話に出る。事と次第を言って、対処方をお願いする。まず、現場を確認すること。次に所有者に理解を求めること。事業計画を把握すること。これまでもいくつかの場面のやり取りがあるので、幸いにして、彼は飲み込みが早い。直ちに動いてくれて、関係者と連絡も取ってくれた。
場所は保内中の北側、喜木川と宮内川にはさまれた、海に至るこの辺りの広大な土地が、かつては全て東洋紡績の工場敷地だった。閉鎖後に南側半分が保内中となり、その北側は数社の企業用地と自動車教習所となった。
もうすっかり当時の面影は薄くなったが、それでも海に近い美名瀬(みなせ)橋たもとには煉瓦倉庫が今も残り、払い下げられた北側の用地を囲む煉瓦塀や社宅も少し健在である。しかも全く知られていない建物としてまだ当時の講堂も残っている。
話を戻すが、結局H氏の手配と現オーナーとの人間関係もあって、事態がハッキリする。煉瓦塀は入り口部分は何メートルか壊されたが、全体としては残す方針であること、講堂は今回の対象外エリアなので、しばらくは大丈夫そうなこと(他社の所有)。社宅は現時点で入居者がおられ、今年中、そう遠くない時期に立ち退きの予定であるので取り壊しが近いこと。そして今回、そう言えばアレはどうなるんだろうと心配し、際どかったのが写真のブッケン「国旗掲揚台」。
参考までに、K氏の運営する「九里四里通信」の見聞録01年度・会報12号をご覧下さい。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Cosmos/8563/
この一見取るに足らないようなモノには、「勤労報国」の文字がくっきりと。つまり、戦時体制下での総力戦を物語るスローガンそのもの。きっと挙国一致で、労働がお国のためにあった時代の生き証人的文字。オーナーの話では、今日中に何とかしないと撤去予定だったとか。すべり込みセーフ!
重機で移設をし、当座は地元工務店のI組に仮置きの段取りとあいなった。とは言うものの、この年度末の忙しいさ中に、商工会のH氏もI組もよくぞ即時対応してくれたこと。通常はナカナカこうはいかない。これまでも何度もそんな場面と遭遇してきてるが、いつも決まって年末か年度末。そしてヤレソレと動けば動くほど、周りに迷惑がられるのがフツー。現場には現場の事情もあり、思えば随分とムリを重ねたことも多かった。その点、今回はM氏からの連絡に始まり、H氏の機転と行動、地元連携で残すことが出来た。うまくいく時はうまくいくものだ。本当にご苦労様でした。感謝カンシャ。
「プルプルッ」2日の昼、友人のM氏からの携帯電話が鳴る。「岡崎さん、今保内におるんやけど、東洋紡の跡の煉瓦塀が壊されよるヨ。」
あちゃー、そう言えばこの前、C電機が使用してた場所に八幡浜のH蒲鉾が進出する言うてたナァ。とっさに、その時、東洋紡の煉瓦塀は大丈夫やろうか、という話をしたのを思い出す。ウーン、拙者今は急ぎの原稿と首っ引きで伊予市を動けず。
現場状況をよく聞き、早速保内の友人にTEL。つながらない。
商工会のH氏が電話に出る。事と次第を言って、対処方をお願いする。まず、現場を確認すること。次に所有者に理解を求めること。事業計画を把握すること。これまでもいくつかの場面のやり取りがあるので、幸いにして、彼は飲み込みが早い。直ちに動いてくれて、関係者と連絡も取ってくれた。
場所は保内中の北側、喜木川と宮内川にはさまれた、海に至るこの辺りの広大な土地が、かつては全て東洋紡績の工場敷地だった。閉鎖後に南側半分が保内中となり、その北側は数社の企業用地と自動車教習所となった。
もうすっかり当時の面影は薄くなったが、それでも海に近い美名瀬(みなせ)橋たもとには煉瓦倉庫が今も残り、払い下げられた北側の用地を囲む煉瓦塀や社宅も少し健在である。しかも全く知られていない建物としてまだ当時の講堂も残っている。
話を戻すが、結局H氏の手配と現オーナーとの人間関係もあって、事態がハッキリする。煉瓦塀は入り口部分は何メートルか壊されたが、全体としては残す方針であること、講堂は今回の対象外エリアなので、しばらくは大丈夫そうなこと(他社の所有)。社宅は現時点で入居者がおられ、今年中、そう遠くない時期に立ち退きの予定であるので取り壊しが近いこと。そして今回、そう言えばアレはどうなるんだろうと心配し、際どかったのが写真のブッケン「国旗掲揚台」。
参考までに、K氏の運営する「九里四里通信」の見聞録01年度・会報12号をご覧下さい。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Cosmos/8563/
この一見取るに足らないようなモノには、「勤労報国」の文字がくっきりと。つまり、戦時体制下での総力戦を物語るスローガンそのもの。きっと挙国一致で、労働がお国のためにあった時代の生き証人的文字。オーナーの話では、今日中に何とかしないと撤去予定だったとか。すべり込みセーフ!
重機で移設をし、当座は地元工務店のI組に仮置きの段取りとあいなった。とは言うものの、この年度末の忙しいさ中に、商工会のH氏もI組もよくぞ即時対応してくれたこと。通常はナカナカこうはいかない。これまでも何度もそんな場面と遭遇してきてるが、いつも決まって年末か年度末。そしてヤレソレと動けば動くほど、周りに迷惑がられるのがフツー。現場には現場の事情もあり、思えば随分とムリを重ねたことも多かった。その点、今回はM氏からの連絡に始まり、H氏の機転と行動、地元連携で残すことが出来た。うまくいく時はうまくいくものだ。本当にご苦労様でした。感謝カンシャ。
しかし、電話での保存活動とは恐れ入りました。そんなことができるのも、岡崎さんの長年にわたる努力のタマモノ。そして、地元を愛する人たちがいっぱいの保内もすばらしいです。人脈も宝庫ナリ
現物を現地に遺す。→無理なら移設して遺す。→それも無理なら記録する。→写真・実測・聞き取り・絵・俳句、etc→そして何より、人の記憶の中に極力遺す。
看取るのは、身内の寿命だけでなく。町も村も家々も、誰かがどこかで看取るシステムが欲しい。そうすりゃ世の中、ちったぁ浮かばれる。
岡崎さんが土下座までして遺そうとした建物の話、心に染みます。保存がダメでも誰かが看取って、記録に記憶に心に残す。そうですよね、建物だって人々と一緒に生きてきた証がほしいはずです。