まだ幼い頃なんとなくですが次に生まれ変わるときは四畳半のアパートじゃなくて普通に二階建ての家に住みたいなぁと思ってました。そして中学に入り新聞配達をしながら今の人生を一生懸命に働いてたら次に生まれ変わったときの中学生の時は、団地住まいじゃなくて普通の一戸建ての子供に生まれてくるかな?何が言いたいかと?今世のゴールが来世のスタートになる?そんな事を子供の頃から何気なく思ったいたし、今でも思っています。でも今、思っているのは少し違って家とか、環境とかではなく、私の心ではないか?と。今世のゴールでの心の状態、魂の状態が来世のスタートになる。あの世に戻りこの世で作ってしまった傷や凹みを修理して、また、この世へ修行のため転生。その準備として、どんな容姿で生まれて、どんな親の環境に、どんな健康状態で、どんな課題を設定?そして神様と約束して前世よりも難しい問題集を小脇に抱えこの世にやってくる。この世の環境、いろいろな価値感や魂の成熟度の違う人たちに揉まれながら、どれだけ誘惑等に打ち勝ち人に優しく喜ばれることを行う事が出来るか?それを繰り返しながら魂のジグソーパズルを完成させていかなければいけないのかな?人間は神様から御霊を分けて頂いているのであれば、その分け御霊を磨くのは楽しいものでなければなりませんよね(^^)ジグソーパズルが完成したら漸く輪廻転生を終えて次なる修行が待ち構えている。そんな気がします。私は幼い頃、魂の成長という意識も認識もありませんでしたが、おそらく家とか環境に置き換え何となくあった心の奥にある魂が意識していたのかもしれません。子供の頃、よく母親に『お母ちゃん!僕が死んだらどうなるの?』と質問すると母は『死んだら、骨と灰にのるだけだよ!』と。すると私は更に『この僕は?僕は?どこへ行くん?』母は骨と灰しか答えてくれませんでした。当時の私の質問は自分が自分である、この意識、自我?真我?が知りたかったのです。そのせいか小学校から中学生のころまでは神霊、幽霊、霊感など霊に関する本なども読み漁りましたが結局、納得のしないまま大人になり社会で働き結婚もして(^^)忘れていったのですが脳出血という病気を経験してから再び子供の頃の記憶が蘇ってきたこと。病気を通じて人様の優しさに触れていくうちに子供の頃の疑問を整理したくなったのです。21世紀は魂の夜明けだと言っている方もおられます。またテレビなどで死後の世界とか臨死体験とか放送されることもありますが、私自身の心の奥に小さく小さく何かが光り始めている?なんか、そんなことを感じる今日この頃です。
【ありがとう】【ごめんなさい】この言葉・・意外意い外に素直に言えない時があります。そして・・この言葉ほど心から言ってくれているのか、上っ面で言っているのか分かりやすい言葉だと思いませんか?この言葉は感謝や反省が心に起きたとき言うと相手の心にも響きます。よね?買い物や飲食の後、お店の人から『ありがとうございました。』と言われる殆どは社交辞令にしか響いてきません。でも無ければないで『この店は、有難うも言えないのか!』と気分を害するのも事実。【ごめんなさい】を【すみませんでした】に変えていることも・・時には【あ、すまん、すまん・・】と。【ごめんなさい】と言う時は不思議と頭も下がりますし、顔全体も本当に悪かった表情でイッパイになっていますよね。【あ、すまん、すまん!】と言われて『なんや!すまんって!』と言い返したら『そやから謝ってるやんけ!』と言い返されたこともありますが本当に悪かったと思ってなく逆ギレされることも・・昨日、次女と3時間・・電話で、いろいろ話していると・・そう言えば最近、次女は、ありがとう。とごめんなさい。がLINEや電話で言えてることがチラホラ・・ほんの1年前には全く発しなかった言葉。やってもらって当たり前・・ウチは悪くない・・こんな態度と言動が多かったのですが最近・・(ほう?)と思えたり・・認知症の義母に料理を作ってあげたり行動に変化があったので『最近、ありがとって言えるようになったな。』と返すと『うん・・なんか・・いや何となくやし・・』豊中で一人暮らしを始めている次女ですが・・『なんでお父さん、一人暮らし許してくれたん?』いきなりの質問でした。『信じてるからや。』そう返すと暫く・・・して『ありがと』小さな声で返ってきたのです。言葉って結構、大きな力が・・見えないチカラが作用している瞬間を感じた時でした。言葉は【言霊】です。怒鳴りぞんざいな言葉を感情的にぶつけると、その何倍も自分の魂を傷つけます。反対に優しく愛のある感情で言葉を発すると相手も癒され自分の魂も磨かれます。人間の発する言葉・・悪言・雑言は汚いウンコ色が出ていると言われていて、これを浴びせられた相手の心には大きな心のダメージになっているのです。パワハラが良い例かもしれません。言われた方は心を病み最悪、自殺にまで追い込む威力があるのです。反対に愛ある穏やかで優しい言葉は雪の結晶のようにきれいだと言われています。自分が発した言葉は必ず自分の魂に跳ね返ってくる。そう考えれば自ずと言葉を選び穏やかに相手へ話すことが出来るはず。えらそうに言ってる私ですが振り返れば毒をこれまで、どれだけ多くの人に浴びせてしまったか・・振り返る度に胸の奥が何とも言えない寂しい痛さがはしるのです。(ああ・・今、跳ね返ってきてる・・)そう・・心を掃除して曇りを取ろうとすれば、この痛さを感じることが出来るのかな?ということは魂の修復をしてるのかな?そんなことえお思いながら娘を通じて過去の自分を振り返る今日このごろです。