数年前・・『オーラ』という言葉がメディアを通じ耳にすることが多かったです。最近、少し思うのです。特に霊感というものがなくても何となくですが、その人から発信している何かが肌というか心というか感じるような気がします。別に霊が見えるとか、亡くなった方と交信できるとか・・そんなことは勿論、できません。初対面の人・・また写真や映像を見ていると時々・・???何かわかりませんが感じるときがあるのです。その時は大抵・・目です。その人自身に強い何かが発信されてる時・・目から感じます。優しさ、温かさ・・反対に粗暴さ・・厭らしさ・・なんとなくです。ここ数か月、とにかく心の針を上にむけられるよう気持ちを穏やかにしています。人との会話でもネガティブなワードは少なくなってきましたし・・責める言葉もなくなってきました。愚痴や文句、不平不満・・とにかく減ってきました。そして・・退院してからの出来事を振り返ると・・いい方向へと何か見えないチカラで導かれているような気がしてなりません。反省と感謝・・過去の過ちや人を傷つけたことを反省し、これからは、そのようなことをしないように!と思いながら生活をしていると・・だんだん小さなことで怒ることもなく、最近では認知症の義母に対して無関心・・むしろ私達夫婦に押し付けるようなことを言った義兄に当初は腹立たしさでいっぱいでしたが最近は何とも思わないどころか(おそらく経済的に義兄も大変なんだろう・・義母も義兄と私達夫婦に確執があることを知れば義母も辛くなる。義母の認知症を私達夫婦で精神的にも経済的にも支えていくことで義兄が助かるなら、それもいい。)こんな風に思えるようになってきました。忘れもしない昨年の夏・・義兄と妻の電話のやりとりに私は義兄の言動だけでなく義兄の娘が電話の向こうから妻に対し暴言を吐いたのには驚きました・・それは、そのまま私の心にも突き刺さり怒りはこみあげていきました。そして昨年、秋・・義兄の妻が病気になったことを聞いたときは・・(ほれ、見たことか!)と正直、思ったのも事実です。でも・・でも・・いろいろと振り返り考えようによっては感謝することもあり反省もしていくうちに私の心の中で何かが変わっていくのを感じてきたのです・・そして最近になってオーラなどは見えません。でも、そお人なりの空気・・その人が強く発信すると何か体中の毛穴?皮膚?に何かが走る感覚を覚えるのです・・なんやろ?妻に、そのことを言うと『気のせいやって♪』の一言で終了(´・ω・`)でも私の何かが変わって行ってるのではないか?そう思っている今日この頃です。
昨日、妻と久しぶりに旅行に行こうとパンフレットを見ていました。ページをめくると・・『北陸うまいもん巡り』『ノドグロ寿司を高級ホテルで!』●●温泉めぐり・・魅力的なコピーが所せましと書かれ優雅な景色の写真が目に飛び込んできます。『ノドグロっておいしいの?』妻は食べたことがないらしく・・『ノドグロって高級魚やで!』答える私。すると『ふ~ん・・高い魚なんや。で・・おいしいの?』再び妻が聞くので『脂がのっておいしいよ。高級魚やし。』そう答える私に『高い魚やからおいしいの?秋刀魚も秋には脂のって美味しいやん?』確かに・・・更に・・『どう美味しいの?刺身?焼き魚?どっちの料理がおいしいの?』私は正直、困りました。ノドグロは食したことはありますが焼かれたものしか食べたことがありません。こんな、やりとりの後、ふと覆ったのです。鯛や鮃は高級魚。秋刀魚や鰺は安く庶民の味・・はて・・魚から見れば、高級低級どちらでも良いこと。人間が勝手にランク付けしただけ。鯛や鮃、河豚・・これらが出たら喜び・・秋刀魚がテーブルに出ると・・『え~?秋刀魚?俺、ハンバーグがええ!』と母親を困らせたことを思い出しました。なんと今、思えば人間の傲慢なことかと。秋刀魚も鯛も【命】を頂いてること。人は、大切なことを忘れてしまってるのかな?テーブルに並べられた食材、大抵は【命】です。私達が子供のころ御飯を頂く前に必ず手を合わせて『いただきます。』と言わないと親から叱られたものですが・・野菜も肉も果物・・全部、命です。その命に人間の勝手な思いでランク付けしています。美味しさや希少性などで値段の高低はないと経済にも影響します。でも値段が高低と味や有難さは別かも知れません。『私・・河豚って別に美味しいとは思わへんねん。どっちかって言えばブリとかアンコウとかの方が好き。』妻は言うのです。確かに・・私も【てっさ】【ひれ酒】などは美味しいとは思わず高い値段の河豚だから・・があったような気がします。父が料理人でもあったので河豚は時々、自宅で裁いて家族にふるまってくれてましたが・・プルプルした身は私にとっては淡泊な味で特別どうこうはありませんでした・・鰻の方がよほど美味しい・・と。話はそれましたが私達人間は多くの命を食さないと生きていけないわけです。命をくれている動物・魚・植物・・に感謝し、秋刀魚も鯛も区別することなく有難く頂く【心】が大切なのではないでしょうか・・よく母から言われたこと。『御飯は1粒1粒にお百姓さんの心が入っているんだよ。だから残さず有難く食べなさい。』戦争を経験し東京大空襲も見てきた母は米は本当に銀シャリ・・イナゴも食べたりしたことがあると聞いてます。サツマイモはご馳走だったと。平成の今、日本は廃棄する食べ物は膨大な量となっていますが、これは多くの命なわけです。3食キチンと食べることが出来る今に感謝し命をくれてることへの感謝をあらためて感じる今日このごろです。