平成25年6月16日 午後7時40分頃、私は仕事中に突然、首筋から異様な感じが走ったかと思うと頭が重くなり気分が悪く吐き気のような車酔いのような・・電話中だったのです呂律が回らなくなり、やあとの思いで『あと・・で・・かけ直しま・・ふ・・』そう言って受話器を置くのがやっと・・デスクにうなだれるも体を起こそうとしますが全く言うことがききませんでした。その時、私は【死】を意識し覚悟もしました・・あれから2年・・辛いリハビリを行い今では何とか杖を持って歩けるようにもなりましたが身体障害2級となり自宅療養をしています。この2年間、生きること。そして【死】を考えるようになりました。死・・自殺などは考えたことはありません。人は死んだらどうなるんだろう?幼い頃から思っていたことを、より深く考えるようになりました。あの世って存在するんだろうか??臨死体験って?多くのサイトを見ていくうちに私なりにですが死後、魂は存在する。と結論を出したのです。この世は魂の修行の場、この世には成熟度合いの違う魂を持った人間が混在するからこそ成長する・・あの世が無く死後、人が【無】になるのであれば、今を生きている価値がないと思うのです。あの世があり輪廻があると思った方が夢や希望も持てます。脳卒中を患い後遺症を持って失ったものも多くありますが得たものも多くあり、何よりも心を素直にしようと思えるようになれたのです。心の在り方を変えることや執着心が少なくなったせいか、死への恐怖も少なくなりました。母は67歳、父は75歳で他界しましたが私は現在55歳。あと10年~20年の余命・・20年前の35歳当時を振り返ると、あっと言う間の20年でした。人生、長いようで短いですが、最近、思うことはお金・地位・名誉・物への執着を残る余命の間に無くしていくことかなぁ。と。20年前の35歳当時は少しでも出世して多くの収入を得たい、少しでも多くの部下を持ちたい、人より良いものを身に着け高級車に乗りたい、人が羨む場所に住みたい・・ギラギラしてました。若い時は、それでよかったんだ。でも死んだら、何も持っていくことはできません。年を重ねるとは、どういうことか少しだけ分かったような気がします。若い頃は夢や将来のことを描きますが年を重ねると想い出ばかり・・今、望んでいることは穏やかに日々を妻と二人、暮らせれば充分。できることなら・・もう一度、海と山に囲まれた神戸に住みたいくらいかな。私の脳出血は脳の視床部なので手術はほぼ不可能、出血の度合いで死亡・・生きても後遺症の度合いは重い可能性が高いそうですが、今、こうして何とか日常生活を送れていることに感謝しつつも、あtの余生にまだ何か大きな人生の課題もあるかもしれません・・でも余生を身体障害2級の状態で生きていくこと自体、大きな課題でもあると思っています。こんな体になって毎日を愚痴り不満を口にし家族に重い空気を与える・・これも人生。体の状態を受け入れて人の優しさ、暖かさをかみしめながら生きるのも人生。与えられた環境や状態をどう乗り越えていくかは自分次第。神様から与えられた私の今世における人生コンセプト・・何となく感じてきました。これまで幾つかの挫折も味わいましたが2年前の脳出血、そして、その後遺症が一番、高いハードルとなって来たのかな??私一人では到底、乗り越えることはできません。脳卒中の高いハードルの後に波のようにハードルは押し寄せていますが、その波の上で妻も一緒にオールを持って乗り越えてくれています。何とか波に飲み込まれることなく来ているのも妻のおかげに他はありません。あとの人生、まだ家族のためにできること・・それを、やり遂げるために生きていきたいと思います。