本日、新潟から弟が会いに来てくれることになっています。私が幼少期に母から『A君にはねぇ・・弟がいるんだよ。でもね・・ヨソへもらわれたの。』こんな事を聞いたことがあり・・私が20歳を過ぎたころ父と母が、いきなり数枚の写真を私に見せながら『ヒロシというねん・・お前の本当の弟や。』母の話だとヒロシという弟が生まれたころ、とても貧しく・・住んでいるアパートは子供が二人になると追い出されるとのことでした。私も生まれて1年ほど母の実家に預けられ祖母が母親代わりになってくれていたようです。この1年の空白期間に両親が、どこで?どうしていたのか?そう言えば聞いた事がありません・・今となっては両親ともに亡くなっており真実は迷宮入りとなっています・・。その弟は一旦、母の兄夫婦が投資縁組しようっとしましたが・・その縁もなくなり祖母が引き取ると言い出したそうですが結局・・ある会社を経営される方、ご夫婦に子供がなく叔父の繋がりで新潟へ養子縁組として引き取られたと言うのでした。その時、正直・・複雑な気持ちと何も実感もなく空洞となる心が同居していたのを今でも覚えています。そして・・母が亡くなり、父がなくなった時・・ふと、顔も知らない弟のことが気になったので父の葬儀に出席していた叔父に『ヒロシという弟のことについて教えてください。』そう願うと叔父も80歳を超えたばかり・・『そうだな・・私も老い先短い。話しても美代子(母)も怒らないだろう。』通夜の夜・・葬儀会場の宿泊施設の部屋でポツリポツリと叔父が話し始めました。そして新潟で元気にやっていると・・私は出来ることなら1度、弟に会ってみたいと告げたのです。叔父は『少し時間をくれないか?向うの事情もあるだろう・・』そう言って1年が過ぎたあたり叔父から手紙が届きました。『双方で連絡を取り会うのもいいだろう・・』とのことでした。その後、数回、弟と電話で話をし可能な限り私が向かうが新潟は遠い・・・せめて金沢あたりで会わないか?と・・調整がつきそうなころ私が脳出血で倒れてしまい会うことができなくなったのです。私もリハビリのおかげで漸く少し歩けるようになった頃・・弟から連絡が来ました。『一度、会いませんか?』平成26年の夏頃でした。しかし。。まだ一人で公共交通機関を利用できるほどには回復しておらず、やむなく断り、お互いの写真を郵便で交換しようということで、その時は終わったのです。そして今年の3月・・弟から電話が・・『5月に仕事で関西に行くかもしれません。もし?行くことになった場合、そちらに伺いたい。』そんな、やりとりもあって本日、関西に来ます。一度も一緒に暮らしたこともない弟。お互い50年以上・・弟は養父母から、どのように聞かされていたのでしょう。その養父母も他界され現在、一人暮らしとのこと。電話では物静かに話すので穏やかな性格なんだろうなぁ・・と思います。どんな話が出来るのか・・全く想像もつきませんが叔父がとりもってくれた兄弟の復縁。大事にしたいと思います。