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『トランボ』 ~ トランプに見て欲しい映画

2016-08-04 23:26:55 | 芸術をひとかけら
 時は第二次世界大戦後の1940年代後半から1950年代、アメリカでは共産党員やそのシンパを公職などから追放する「赤狩り」の嵐が吹き荒れた。なんと、あのチャップリンまでもがその犠牲となり、国外追放となっている。
 そしてこの映画の主人公、ダルトン・トランボも「赤狩り」の犠牲者。議会侮辱罪で有罪判決を受けた映画界の主要人物10人、「ハリウッド・テン」の中心人物であった。映画『トランボ』は、彼がその信条、反骨精神により、ハリウッド追放から苦節十数年、見事ハリウッドへの復活を果たす物語である。

 「赤狩り」は、冷戦という当時の時代背景を反映したものとはいえ、かなり乱暴なものであった。自白や密告の強要など、とても自由の国アメリカとは思えない。
 トランボは非米活動委員会の聴聞で、合衆国憲法修正第1条(信教および言論・出版・集会の自由)を盾に証言を拒むが、それゆえ刑務所に服役することになる。ハリウッドの中にもトランボらに理解を示す者もいたが、映画人の大多数は違った。長い物には巻かれろと、自己の保身、自らの生活のため、トランボらを批判し仕事を与えず、さらには共産党員だと仲間を告発する者までいた。

 が、彼は負けない。映画の脚本を書き続けた。彼が脚本家で俳優でなかったことが幸いした。俳優だと顔や声ですぐばれてしまうが、表に出ない脚本家は偽名を使えばわからない。もっとも脚本がトランボだと知れると映画はお蔵入りになってしまうため、脚本料は相当叩かれたようだ。苦しい生活が続いた。
 しかし、そんな中で彼は、1956年、偽名で書いた『黒い牡牛』でアカデミー原案賞を獲得した。また彼の死後、あの『ローマの休日』(1953年)が彼の執筆であったことが判明している。『ローマの休日』は、アカデミー賞の主演女優(勿論オードリー・ヘプバーン!)、衣装デザインそして原案部門で最優秀賞に輝いた。そう、トランボは2度アカデミー原案賞を受賞していたのである。

 ところで、僕はトランボを脚本家というより映画監督、『ジョニーは戦場に行った』の監督だと思っていた。『ジョニー ~』は彼が1939年に執筆した反戦小説で、ベトナム戦争真っ最中の1971年、トランボ自らが監督し映画化された。トランボは1960年に漸くハリウッドに復帰を果たす、つまり実名で脚本を書けるようになったのだが、世の中の「赤狩り」、「ハリウッド・テン」の記憶が覚め遣らぬ中、よく政府に盾突き反戦映画を作ったものである。彼の勇気、気骨には本当に感服する。
 僕は多感な学生時代にこの映画を見たが、映画が終わってもなかなか席を立てなかったことを覚えている。生と死について考えさせられる本当に素晴らしい映画だった。

 後年、トランボが「赤狩り」について語るシーンがある。
 「赤狩り」により職を失った者、さらには家族を失った者や、自らの命を絶った者までいる。一方で、仲間を密告、告発した者もいる。しかし、誰が良くて誰が悪いというのではない。皆が、誰もが犠牲者だったのだ、と。
 憎しみだけでは何の解決にもならない。前に進むことはできない。
 今話題の共和党の大統領候補トランプ、トランボと名前は似ているが、言うことはまったく違う。そもそもトランプは合衆国憲法修正第1条を理解しているのだろうか。


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