縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

王子対北越、敵対的買収の行方

2006-08-01 23:58:11 | お金の話
 銀行で初めて融資の仕事に就いたとき、上司からまず二つの指示を受けた。一つは取引先との過去からの取引の記録を読むことであり、もう一つは取引先の社史を読むことだった。取引先の”人品骨柄”を知るには社史が一番だというのが彼の持論だった。最初は、社史なんかそこの社員ですら読まないだろう、そんな昔の話を読んでも、などと思っていたが、これが意外に為になった。社風というか、会社の考え方を知る大きな手助けになったのである。

 さて、歴史を紐解くと、今回の王子製紙の行動は極めてわかりやすい。

 王子製紙の母体は1873年に渋沢栄一が設立した「抄紙会社」である。その後社名を王子製紙に変え、日本の紙パ業界を支配する大会社へと成長した。戦後、1949年、王子製紙は過度経済力集中排除法により、王子製紙、十條製紙、本州製紙の3社に分割された。この法律で分割された会社の多くは後にまた一緒になっている。例えば、三菱重工、三菱マテリアル、新日鉄などがそうである。東日本はサッポロ、西日本はアサヒと分割された大日本麦酒のように、合併していない会社の方が珍しいくらいである。
 で、王子製紙はどうかというと、3社合併を望みつつも、独禁法の壁、十條製紙の抵抗などから夢を果たせなかった。そして1993年の十條製紙と山陽国策パルプとの合併(日本製紙の誕生)により、3社合併の夢は潰えてしまった。しかし、王子製紙は戦前の国内シェア80%という業界の盟主としての立場、圧倒的な規模に対する郷愁を忘れることができず、そこで出した回答が神埼製紙との合併だった。そして更に1996年には本州製紙を合併し、業界トップの座を不動のものにしたのである。
 2001年の日本製紙と大昭和製紙との事業統合への対応が今回の北越製紙への経営統合申し入れだとは思わないが、王子の規模拡大に対する貪欲さが感じられる。

 勿論、王子の言うように、会社を跨いだスクラップ&ビルドという理屈もわからなくはない。紙の需要が伸び悩む一方でインドネシアなどからの輸入が増えている。又、大王製紙や日本製紙が設備増設を行った。自らも設備を増強したいが、斯かる需給状況の中で増設を行えば市況を乱すことになり得策とは言えない。そして気が付けば、設備の増設を行う北越製紙がいる。結論は火を見るより明らかだった。ただ王子にとっての唯一の誤算は、北越が王子の軍門に下るのを嫌い三菱商事に助けを求めた点だった。
 紙パ部門を強化したい、中越パルプとの合併を白紙に戻した三菱製紙の新たな生き残り策を模索したい、との思いがある三菱商事にとって、北越からの話はまさに”渡りに船”だった。もっとも三菱商事は北越から王子の申し入れについては聞いていなかったようであり、商事にとっても王子の動きは誤算だったかもしれない。

 三菱商事の増資払込期日は8月7日であり、今後の王子製紙の動きが注目される。わが国で初めてとも言える敵対的買収の成否や如何に。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。