縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

オリンパスの悲劇

2012-01-29 16:16:45 | お金の話
 オリンパスの上場維持が決まった。出来レースの感もないではないが、取り敢えず社員の皆さんはほっとされたことだろう。
 しかし、このオリンパスの事件、いったい誰が得をしたのだろうか。あのイギリス人社長の行動は正しかったのだろうか。

 得をしたとしてまず思い浮かぶのは、オリンパスの株価が暴落する中、あるいはその後値を戻す中で、上手く株を売り抜けた人である。某外資系証券は空売りで莫大な利益を上げたというが、個人投資家でもそこそこ儲けた人はいるだろう。勿論、その数百倍(数千倍?)損をした人がいるに違いないが。
 ほかには今のところ得をした人はいない。これから得をするかもしれないといえば、資本・業務提携先として噂されるソニー、富士フィルム、パナソニック等であろう。安くオリンパスの内視鏡事業を取り込むことが出来るかもしれないからだ。

 逆に損をしたといえば、既存の株主、役員(自業自得?)、オリンパスを喰いものにしたコンサルタント(これは因果応報)、監査法人(責任なしとはしない?)、そしてオリンパスの一般の社員である。
 本件を主導した、あるいは知り得る立場にあった役員や、彼らをそそのかしたコンサルタントは言語道断であるが、真摯にものづくりに取り組んでいる社員、そのものづくりを支えている社員、そうした多くのオリンパス社員の方々には同情の念を禁じ得ない。
 幸い、倒産や完全に第三者の傘下に収められることは避けられたようだが、社員の方々にとっては今まで自分が信じてきたもの、価値観が一瞬にして崩れてしまったのである。社長に裏切られた、日々愛する会社の信用が失われて行く、今まで自分は何のために働いてきたのだろう、誰もがそう思ったに違いない。

 今回の損得を考えれば、私は損の方が大きい気がしてならない。オリンパスのブランド、信用が毀損し、そして、何の責任もない、ただオリンパスやそのお客様のために一生懸命働いてきただけの多くの従業員の方々が傷ついたのである。
 コンプライアンス違反をしていたのだから当然の結果だ、ルールは守らなければならない、株主を欺いてきたのだから仕方がない等々、確かにそうかもしれない。しかし、狡賢いやつだけが儲け、多くのまじめな人間が酷い目にあったのは事実である。果たして、あの社長の行動は、本当に正しいことだったのか。僕にはそうは思えない。ほかにやり方があったと思う。

 ところで、今となっては死語かもしれないが、昔、「企業は社会の公器」という言葉があった。また「会社は社員のもの」というのもよく聞いた。それが日本的経営の強みとも言われていた。が、今は真面目にそう言うと笑われてしまう世の中になっている。
 企業は株主のものであって、株主の利益を極大化するために企業は活動しないといけない。経営者にとっては企業価値を如何に高めるかが最も重要なのである。これが金融資本主義だ。この金融資本主義の行き着いた姿が、1%の人間に99%の富が集中する今のアメリカである。
 日本は、「企業は株主のもの」と言い始めたころから、おかしくなってきた気がする。金融資本主義の下、多くの日本の企業は、自らの強みや長所、本来海外から称賛されるべきものまで、その一切合財を捨て、目先の利益追求に走ってしまったのではないだろうか。

 オリンパス社員の方々の悲劇は、かつての経営陣の無責任さ、いい加減さはさておき、こうした社会の変化の結果でもあると思う。


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