
思春期の女の子フキが主人公。彼女は自由で好奇心旺盛、無邪気であるがときに意地悪。大人の哀しさや生きづらさ、それに怖さはまだよく解らないが、否応なしに触れることになる夏。彼女は少し大人になった。
ハリウッド映画によくあるハッピーエンドや、映画にストーリーを求める人には向かない映画である。映画には、ただ小学5年生のフキの一夏の経験が綴られているのみ。さすがにありふれた日常とは言わないが、多かれ少なかれ誰もが似たような経験はあるだろう。
映画を観て何を感じ、何を考えるかは映画を観た貴方に委ねられている。カンヌ映画祭に出品するためフランス映画を意識した作りなのかもしれない。
舞台は1980年代終わりの地方都市。フキは両親との3人暮らし。父親は末期のガンで入院中。管理職に成り立ての母親は、仕事や家事・子育てに加え看病に追われる日々。2人とも日々必死で心に余裕がない。一方フキはというと、超能力に夢中になったり、自分の葬式やみなしごになったことを想像して作文を書くなど自由奔放。そう、まだ子供なのである。
そんなフキが、同じマンションに住む若い女性の心の闇を聞き、裕福な友達の家庭の秘密を知り、母親の心の弱さを見る。本人も伝言ダイヤルで危険な目に遭ってしまう。そして父親が亡くなる。フキが物事をどこまで理解しているか、受け止めているのかは分からない。が、解らないなりに多くの経験をしたフキは、どこか吹っ切れたように見える。
ところで、題名の“ルノワール”といえば印象派を代表する画家である。その“印象派”の特徴と言えば、まさしく印象、つまり、そのとき、その瞬間に感じたこと、思ったことを描くこと。例えば、緑の葉も光線の関係で黄色や赤に見えたり、あるいは輝いて金色に見える瞬間があるかもしれない。そうした一瞬の驚き、印象をそのまま描くのが印象派である。
そう考えると、この映画はフキに起きた出来事(一部想像も)の、各々その瞬間を捉えた早川監督の印象なのかもしれない。話に脈絡がなかったり、ときにドキッとすることがあったりと。そこには善し悪しの判断も正解もない。
先日、相米監督の『お引越し』を観た。早川監督が本作を作るにあたり影響を受けた映画の1つに挙げられている。主人公は同じ11歳の小学生の女の子。一夏の経験を経て成長するという展開も同じ。ただ『お引越し』には話に一本の筋があったが、本作はメインとなるストーリーはなく、複数の出来事や問題が提起される形。『お引越し』は30年以上前の作品だが、この間、世の中がより複雑になった、問題が増えたということだろうか。
ハリウッド映画によくあるハッピーエンドや、映画にストーリーを求める人には向かない映画である。映画には、ただ小学5年生のフキの一夏の経験が綴られているのみ。さすがにありふれた日常とは言わないが、多かれ少なかれ誰もが似たような経験はあるだろう。
映画を観て何を感じ、何を考えるかは映画を観た貴方に委ねられている。カンヌ映画祭に出品するためフランス映画を意識した作りなのかもしれない。
舞台は1980年代終わりの地方都市。フキは両親との3人暮らし。父親は末期のガンで入院中。管理職に成り立ての母親は、仕事や家事・子育てに加え看病に追われる日々。2人とも日々必死で心に余裕がない。一方フキはというと、超能力に夢中になったり、自分の葬式やみなしごになったことを想像して作文を書くなど自由奔放。そう、まだ子供なのである。
そんなフキが、同じマンションに住む若い女性の心の闇を聞き、裕福な友達の家庭の秘密を知り、母親の心の弱さを見る。本人も伝言ダイヤルで危険な目に遭ってしまう。そして父親が亡くなる。フキが物事をどこまで理解しているか、受け止めているのかは分からない。が、解らないなりに多くの経験をしたフキは、どこか吹っ切れたように見える。
ところで、題名の“ルノワール”といえば印象派を代表する画家である。その“印象派”の特徴と言えば、まさしく印象、つまり、そのとき、その瞬間に感じたこと、思ったことを描くこと。例えば、緑の葉も光線の関係で黄色や赤に見えたり、あるいは輝いて金色に見える瞬間があるかもしれない。そうした一瞬の驚き、印象をそのまま描くのが印象派である。
そう考えると、この映画はフキに起きた出来事(一部想像も)の、各々その瞬間を捉えた早川監督の印象なのかもしれない。話に脈絡がなかったり、ときにドキッとすることがあったりと。そこには善し悪しの判断も正解もない。
先日、相米監督の『お引越し』を観た。早川監督が本作を作るにあたり影響を受けた映画の1つに挙げられている。主人公は同じ11歳の小学生の女の子。一夏の経験を経て成長するという展開も同じ。ただ『お引越し』には話に一本の筋があったが、本作はメインとなるストーリーはなく、複数の出来事や問題が提起される形。『お引越し』は30年以上前の作品だが、この間、世の中がより複雑になった、問題が増えたということだろうか。