縁側でちょっと一杯 in 別府

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一つの時代の終わり ~ GM破綻に思うこと

2009-06-07 22:00:36 | お金の話
 ご存じの通り、ゼネラル・モーターズ(GM)が6月1日にチャプター11(連邦破産法第11章)の適用を申請した。日本でいう民事再生法の適用を申請したのである。今後GMはアメリカ政府の支援の下、再生を目指すことになる。
 私は『GMはチャプター11で再生すべき』(2008年11月19日)の中で、GMは政府の支援を受けプレパッケージ型の再生を目指すべき、と書いたが、漸くその方向でGMとアメリカ政府が一歩踏み出したわけである。アメリカ経済、いや世界経済全体にとって、当面の混乱を最小限に止めるという意味で大変喜ばしいことといえる。

 しかし、政府が支援したからといってGMの再生が上手く行く保証はない。UAW(労働組合)の譲歩をあまり引き出せなかった点、売れる車が見当たらない点等、せいぜい縮小均衡が良いところで、事業基盤の強化、収益構造の改善には相当の時間が掛かるのではないだろうか。
 UAWは退職者向け医療保険基金へのGMの拠出金200億ドルの半減を呑んだが、他の無担保債権者よりも多い代償を得ている。工場の削減は呑んだが、コンパクト・カーの中国への生産移転は拒否した。又、現役組合員の基本給、医療保障、年金は何ら減額されていない。つまり依然として米国の工場労働者の中で最高の給与・福利厚生の水準を維持しているのである。通常の破綻企業ではありえない話だ。
 一方、利益率の高い大型車に収益の大部分を依存し、コンパクト・カー、更にはハイブリッド・カーや電気自動車の開発をなおざりにしていたGMが、即座に売れる車、時代にあった低燃費の小型車を製造できるとは思えない。1、2年でプラグイン・ハイブリッド・カー(いわば電気自動車とハイブリッド・カーを掛け合わせた車)、シボレー・ボルトを販売するというが、それにしてもまだ先の話だ。以前GMは電気自動車の開発で日本メーカーを凌駕すると言われたが、商品化前に開発を中断してしまった。今、そのツケが回っているのである。

 GMはかつて世界最大の売上高を誇る企業であり、経営の手本となる企業であった。事業部制の導入や、フルラインの商品構成、自動車メーカーによる自動車ローン等、いずれもGMが始めたものである。
 80年代「いつかはクラウン」というコピーが一世を風靡した。トヨタのCMである。今は給料も安いし、地位もない、まだカローラにしか乗れないが、いつの日にかクラウンに乗れる人間になりたい、そして今漸く・・・、といったイメージであろう。
 これはトヨタがGMのマーケティング戦略に倣ったものである。エントリー・カーとしてはシボレー、その後の収入や社会的地位の上昇に応じていくつかの車種を用意し、そして最後はキャディラックに、というGMのやり方をトヨタも取り入れたのであった。
 「GMにとって良いことはアメリカにとって良いことだ」と豪語した社長がいたが、GMはあながちウソと言えないほどの存在だったのである。まさに20世紀を代表する企業である。そんなGMが破綻したのであった。

 GMの破綻、それは単に一つの巨大企業の破綻というのではなく、一つの時代の終わりのような気がしてならない。20世紀の主役が製造業とすれば、21世紀は情報・ITはじめサービス業が主役である。
 又、経済のグローバル化、貧困の増加、更には温暖化問題など、私達を取り巻く環境が大きく変化し、「明日は今日より良い日だ、いつか自分も高級車に乗れる日が来る」と単純には考えられなくなったことも事実であろう。それが良いか悪いかは別として、人々の考え方、価値観が変わっていることは確かだと思う。

 GMの破綻は“古き良き時代”の終りを象徴する出来事の一つである。

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