縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ジプシーあるいはロマの話

2007-01-06 23:59:00 | 最近思うこと
 今日は、昨日の移民問題やルーマニアから連想したジプシーの話を紹介したい。因みに、“ジプシー”は差別語であるとし、最近では“ロマ”が使われている。が、彼らの中には、自らはロマではない、あるいはロマと言えるのは自分達だけだ等、様々な主張があり、なかなか一筋縄では行かないようだ。ここにも問題の複雑さが表れている。以下では便宜的にジプシーを使う。

 ジプシーと聞いたとき、皆さんはどのようなイメージを思い浮かべるだろうか。放浪の民、自然と一体となって暮らす人々、魅惑的な音楽、華麗な踊り等々、哀愁漂う、ロマンティックなイメージを持つ人もいれば、物乞い、スリ、泥棒など貧しく、不潔、不吉な人々といった悪いイメージを持つ人もいるだろう。いったい、どちらが本当のジプシーなのだろう。
(因みに、今、ジプシーキングスのCDを聴きながら、これを書いている。僕にとってのジプシーというのは、どちらかというと前者のイメージである。)

 冒頭、ルーマニアを挙げたが、実はルーマニアは世界でもっともジプシーの多い国である。人口にして200万人近く、なんと国の人口の1割近くがジプシーだと考えられる。しかし、ルーマニアの中でジプシーは明らかに差別されている。
 以前ルーマニア人夫婦の車でルーマニアを旅したことがある。そのとき、一度だけジプシーのことが話題になった。僕が「ルーマニアにはジプシーが多いんだって」と、軽いノリで聞いたのが始まりだったと思う。そのときの彼らの反応、それは、何を言うんだ、あんなのと俺たちを一緒にしないでくれ、という感じだった。理由を聞いても特に明確な理由はない。まるで、ジプシーはただジプシーであるがゆえに醜く、ひどい存在なのであり、忌み嫌うものだ、その何が悪いんだ、と言わんばかりだった。彼らは英語も話すインテリ夫婦であるが、その彼らにしてこの反応である。まして一般のルーマニア国民においておや、である。

 そもそもジプシーは、言語学的にはインドを起源とし、11世紀頃にバルカン半島に出現したと考えられている。黒い髪に褐色の肌というが、必ずしもインド人が起源かどうかはわからない。もとより、ジプシーの語源であるエジプト人でもない。ジプシーは、14世紀後半、オスマントルコの勢力拡大によりヨーロッパ各地へと散らばって行った。楽師や、鋳掛け・蹄鉄打ちなどの専門職人が多く、その土地の主流民族と協力しつつも、独立した文化、風俗を維持していた。一方、主流民族の側は、ジプシーを自分たちと違う存在、異質と認識しながらも、彼らの能力や仕事を評価し、そして彼らを必要とした。いわば持ちつ持たれつの関係であり、当初、差別はなかったようだ。
 ただルーマニアは、ジプシーを奴隷として自らの支配下に置いた。19世紀になって漸く奴隷制は廃止されたが、上述の通り、ルーマニアには当時の意識が今でも根強く残っているようだ。又、この奴隷制廃止がジプシーの流出・拡散に弾みをつけ、ジプシーは、ヨーロッパは勿論、遠くアメリカにも渡って行った。

 自らの国を持たない流浪の民という点でジプシーはユダヤ人に近いが、ユダヤ人ほどの強いアイデンティティはない。固有の宗教もない。一口にジプシーと言っても、各国の、その暮らす土地の主流社会の文化を受け容れたことから、ジプシーの文化や生活は国によっても異なる。そう考えるとジプシーが一つの、同一の民族と言えるかすら怪しい。
 では、いったいジプシーとはなんなのだろう。定住するジプシーもいるため、放浪の民という定義もあたらない。民族としてのアイデンティティもないとすれば、どう定義、説明すれば良いのだろう。一つ言えるとすれば、異質のものを排除するな、ただ自分と違うだけで差別するな、ということだろうか。これを日本に当てはめて考えれば、人間に優劣はない、差別するな、いじめるな、ということだろうか。


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