縁側でちょっと一杯 in 別府

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サリンジャーに捧ぐ ~ グラス・サーガの結末は?

2010-02-11 21:55:00 | 芸術をひとかけら
 先月27日、サリンジャーが亡くなった。あの『ライ麦畑でつかまえて』で有名なアメリカの小説家だ。91歳、老衰だそうである。もっとも彼はもう50年近くニューハンプシャー州のコーニッシュという田舎町で隠遁生活を送っていたので、それこそ生きているのか死んでいるのかさえ定かではなかったが・・・。人間嫌い。生に対する執着もなさそうな彼だが、長生きだった。
 彼は寡作の作家であり、最新というか最後の作品は1965年に発表した『ハプワース16, 1924』である。高校時代、サリンジャー・ファンだった僕は、そろそろ次の作品が出るのではないか、グラス・サーガの続きが読めるのではないかと、心待ちにしていた。それが次第に諦めに変わり、だんだん記憶すら薄れ、そして遂にその夢が途絶えた。

 初めて『ライ麦畑でつかまえて』を読んだのは高校2年のときだった。巷の評判から『ライ麦畑』は青少年のバイブルだと思っていたが、文庫本では出ていない、つまり単行本を買うしかなく、貧乏な僕にはなかなか手が出なかった。そんなこんなで『ライ麦畑』に対する期待はどんどん膨らんで行った。そして、それこそ清水の舞台から飛び降りる、僕としては一大決心をし、大枚はたいて『ライ麦畑でつかまえて』を買ったのであった。
 が、正直、読んでみて、ちょっと拍子抜けした。期待が大きかった分、落胆も大きく、ふーん、だから何、っていう感じだった。
 主人公のホールデンは16歳で当時の僕とほぼ同い年。にもかかわらず、さほど共感はしなかった。大人社会の欺瞞に嫌悪を感じ、そんな大人にはなりたくない、純粋な子供のままでありたい、と願うホールデン。今にして思えば、当時の僕は、大人社会の何たるかを考えることなく、ただ、早く大人社会の一員になりたいと願っていたように思う。まあ一言でいえば、僕の方がホールデンよりずっと子供だった、幼かったのであろう。

 『ライ麦畑』に感動しなかったものの、なぜかもう少しサリンジャーを読んでみようと思った。
 次に読んだのが『フラニーとゾーイー』。そして、僕はこの本に、特に『ゾーイー』にはまってしまった。(注:『フラニーとゾーイー』は一つの小説ではなく、関連する二つの短編を集めたものである。)
 本の内容自体は、デートに失敗し(『フラニー』)、果ては人生に悩む妹を兄が励ます(『ゾーイー』)という他愛のないものである。ただ、その励まし方が尋常ではない。キリスト教から東洋思想、哲学、詩、等々の幅広い知識、機知に富んだ会話、そして兄妹の深い愛情。

 『フラニー』は記念すべきグラス・サーガの第1作。グラス家の個性的な7人兄弟が織り成す物語の始まりである。

 サリンジャーが何を意図してグラス家の物語を書き始めたのかはわからない。また、彼はグラス家の作品をあと3つ書いているが(『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』、『シーモア-序章-』と上述のハプワース)、なぜサリンジャーはその続きを書けなかったのだろう。

 7人兄弟の長兄で、物語の中心人物であるシーモアは、結婚してすぐ自殺した。傍から見れば幸せの絶頂での自殺である。自殺の理由は他の兄弟にもわからない。勿論われわれにもわからない。
 純粋培養されて育ったグラス家の人間としては、あのホールデンと同じように、欺瞞に満ちた大人社会に耐えきれなかったのかもしれない。シーモアは、サリンジャーのように家を高い塀で囲み、精神面のみならず物理的にも外界との壁を作り、自らの安全な世界の中で生き続けることは出来なかったのだろうか。

 あるいは、サリンジャー自身も、シーモアの自殺の理由をうまく説明できないのかもしれない。だからこそ6作目を書くことが出来なかったのであろう。

 ただサリンジャーは隠遁生活の中で、発表はしないものの、その後も何か文章を書き続けていたらしい。とすれば、遺族がサリンジャーの未発表の作品を遺稿集として発表することがあるかもしれない。僕はその日が来ることを待っていたい。