縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

忘れるということ、『二十四時間の情事』

2007-10-08 23:29:55 | 芸術をひとかけら
 嵐のような3ヶ月だった。夏休みを取ることもなく、暑いさなか、ずっと働いていた。平日は帰りが深夜になることが多く、土日もしばしば出勤した。そんなこんなで、物理的にも精神的にも、ブログを書く余裕がなく、空白の3ヶ月が生じてしまった次第である。申し訳ない。が、お蔭様で、仕事が少し落ち着いたので、またブログをぼちぼち書いて行くことにしたい。

 忙しかったものの、この3ヶ月、個人的には大変得がたい経験をした。今はまだ差し障りがあって話せないが、いずれこの経験を小説に書いて見たいと思う(まあ、いつになることやら・・・・)。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、本当に、いろんなことがあった。良いこともあれば悪いこともあったし、そして、ひどく悪いことも数多くあった。
 人間、不思議なもので、一種極限に近い状態に長くいると、些細なことに喜びを感じたり、逆に本来恐れるべきこと、怒りを感じるべきことに無頓着になったりする。“ゆでガエル”のような状態、あるいは、人間の防御反応なのかもしれない。

 『二十四時間の情事』という映画がある。題名を聞いて興奮(?)した貴方、残念ながら、これはその種の映画ではない。アラン・レネ監督、1959年の日仏合作の映画で原題は“Hiroshima, Mon Amour”、直訳は『ヒロシマ、我が愛』といった感じだろう。よくもまあ、こんな邦題を付けたものだと思う。
 それはさておき、この映画は学生時代に見た映画の中で強く印象に残っている作品の一つである。といっても、それこそ二十四年前の夏に一度見たきりの映画なので詳しい内容までは覚えていない。簡単に言うと、広島にロケにやって来たフランスの女優と日本人男性との行きずりの恋の話である。その点、“二十四時間の情事”という表現はあながち間違っていない。が、この映画はただの情事の話ではない。

 映画では彼女の過去と現在がオーバーラップする。彼女は第二次大戦中にドイツ兵と熱烈な恋をしたため、戦争が終わり、皆から裏切り者と非難、迫害された。田舎の小さな村である。彼女は丸坊主にされ、地下室に閉じ込められた。更にはそのドイツ兵が戦死したこともあって、彼女は錯乱し、気が狂うところだった。そんな辛く、暗い過去を持つ彼女、彼女は「人は忘れないと生きて行けないわ」という。

 「人は忘れないと生きて行けない」、この言葉が僕の心に妙に引っ掛かった。

 人は思いのほか強いものかもしれない。これは耐えられない、あれは耐えられない、などと思いながらも、結局は生きている。“忘れる”ということは消極的な行為ではなく、ある意味、積極的あるいは建設的な行為かもしれない。
 ちょうど舞台が広島だったこともあり、原爆という過去がなかったかのように復興した広島の姿が、そんな思いを一層強くさせた。

 と、当時の僕はそう感じた。過去を振り返らず、先のことだけ考えて前に進もう、と思ったのである。まあ、単に忘れたいことの多かった、暗い生活をしていただけかもしれないが。