縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

神が死ぬとき

2007-06-11 23:10:47 | 最近思うこと
 「私、ガンで死ぬところだったの。」と彼女は言った。「婦人科系のとっても珍しいガンで、検査しても全然わからなかったんだ。調子がおかしいなと思って病院に行っても何でもありませんと言われ、他の病院に行っても同じことの繰り返し。やっぱり変だと思いながらも、そんなこんなで3ヶ月くらい経ってしまい、そこで漸くガンだとわかったの。ガンはこの間も確実に進んでいたわけだし、本当に危ないところだったのよ。」久々に、そう13、14年振りに会った彼女は笑いながら話した。昔の会社の後輩と偶然出会ったのである。
 「そのとき、おかしな経験をしたの。それこそ毎晩のように同じ夢、それも自分が病気で死ぬ夢を見たの。これは絶対に変だ、検査結果がおかしいに違いない。そう信じていくつもの病院に通ったわ。おかげでガンが見つかり、今でも私はこうして生きている。ある意味、自分は生かされたわけだし、きっと自分には何かやらなければいけないことがあると思うの。」

 「女教祖様になろうと思わなかったの?」と僕は尋ねた。「そうね、そうは思わなかったわ。でも、壺でも売れば儲かったかしら。」話はここで終わった。そのうち皆で会おうと言って別れた。

 ところで、新興宗教の流行るというか、成り立つ理由をご存知だろうか。それは、人の弱さや、不安、恐れに付け込むか、あるいは人の欲や願望を利用するからだと思う。怪しげな教祖様から、私を信じればお金が儲かるとか、私を信じれば病気が治るとか言われたとする。その中に、それこそ本当の偶然、ごくごく稀に、思わぬお金を手にしたり、医師から見離された病気の治る人が出たとする。すると彼は、当初の怪しさなど忘れ、この宗教に感謝し、心底惚れ込み、そしてこの宗教を家族や知人・友人に熱心に勧めるようになる。これが新興宗教拡大の仕組みなのである。

 が、彼女は宗教家の道を選んではいなかった。

 アメリカの宇宙飛行士の中には宗教家になった者が多いと聞く。宇宙から自分たちの住む星、地球を客観的に見る。それは、あたかも幽体離脱のような不思議な感覚なのかもしれない。果てしない宇宙の中のちっぽけな星、更にはそこで暮らすちっぽけな人間達、そして自分自身。無力感、あるいは絶望。自らを客体化することにより、創造主としての神の力を感じるのかもしれない。いや、自らの力がまったく及ばない世界に一人放り投げだされたからこそ、何か底知れぬ、大きな力の存在を感じたのであろう。それこそキリストやアラーを超えた存在なのだと思う。

 将来、医学や医療技術の進歩により、人は老衰でしか死なない時代が来るかもしれない。病気で苦しんだり、病気で死んだりとは無縁の世界である。又、宇宙旅行が近くの温泉に行くのと同じくらい気軽な旅になる時代が来るかもしれない。

 このとき、神は存在するのだろうか。