さて、先週登場した鳶の親方(バブルの時なんで、とんびくらいでも鳶って言ってれば仕事がごまんとあった良き時代)さん。
元、稲のマ-クの組員。
この親方には当時20才の息子がおり(親方の10番目の子供。他にも外に子供が何人もいる、しかも全部女。男が生まれるまでつくりまくったらしいとんでもない種馬野郎)、こいつも親に似て相当な悪ガキ。(笑)
中学時代から地元でワルとして有名だったようで、地元の高校に進学したのに初日で退学。
なんせ不良しかいないような高校だったので、生徒達が、この有名な息子をチェ-ンや木刀もって入学式でお出迎え。
正門でいきなり乱闘になって、この息子は即効で退学、学校には一歩も入れず。(笑)
その後は繁華街でシンナ-をオロナミンCの瓶に入れて売り歩き、警察に捕まり少年院送り。
そんな立派な経歴の彼も父親と一緒に働く鳶職であります。
そんな彼がある日私に
「うちの親父なんか16才ぐらいの時に相当、人コロしてたんですよ、俺はさすがに人コロしたことはありません」
とか言い出す。
親方は終戦当時15歳。
ヤクザの世界に飛び込んだ。
当時は在日朝鮮人が朝鮮進駐軍とか名乗って、無力化した警察が手が出せないのを良い事に暴れまくっていたらしい。
裏社会で日本のヤクザと武力衝突を繰り返していた時代。
この親方はそんな戦後の戦争に参加していたらしい。
直接この当時のことをこの親方にインタビュ-(笑)。(普通そんな話は聞けるもんじゃないのでw)
そうなんだよオメ-! チョ〇コ〇と戦争してたんだ。でも機関銃って撃っても当たんねえんだよオメ-。せいぜい二、三人だんべ。
親方の青春時代のお話でした。
親父が ヤミ米を手に入れるのに苦労したとかで、我が家にはいつもお米の袋が積んで有りました。
夏場には 虫がわいて大変でしたが、文句を言うと叱られたのが思い出です。
『米穀通帳』 も、いつの間にか有名無実となり、何処でもお米が買える様に成りました。
そんな恵まれた時代は過去のものとなり、今年 日本酒の酒蔵では古米を使用しようかと、頭をなやませているそうです。
ウチの親父は、アメ公が千葉に上陸して来ると言うので房総に向かって行軍、移動中に敗戦(笑)。毎日訓練で、敵戦車の下に爆弾を背負って潜り込む練習をしていたそうです(爆)。母方の叔父は、もう少しで特攻隊員になれたのに終戦…残念(笑)。
そういう人達がいて…今の私達がいる。靖国神社にお参りして来ようかな(笑)。
家に戻ってしばらくはちょっとおかしくなってたそうで曾バーさんがそっとしとけと言っていたそうです。
母方のバーさんの伯父は軍需の会社で景気良かったそうで戦後も米人の技術者が研究所に出入りしていたりで勢い変わらずだったそうですが、息子(東大)と孫(東大・慶応)がボンクラで今じゃ跡形もなく葬式もこっそり親戚にも秘密でやっていた有様。
上がアホだと崩壊は一気に来るということですね。
日本国会社の将来が心配です。
それは兎も角、日本もそういう時代があったということですね。今は品よくすましていますが。
当たらなくても無問題
ひょっとしてあQ様の方が私より先輩かもです。(笑)
素人様>
中国人は靖国に墓があると思ってます。
あそこは神社だから墓はないと言ってもわかりません。(笑)
ランラン様>
叔父は兵隊で中国へ来てましたが、長男だったので敗戦までは居なかったようです。
今の日本は政治家がボンクラなので革命しかありません。(笑)
Hiroshi様>
私、九州のブラック童話関連も相当詳しいですよ。多分Hiroshi様よりも。(笑)
ケロねーさん様>
力道山や大木金太郎とか当時はいっぱいいましたが、今もいっぱい芸能界にいますね。
爺党員様>
この上州うまれの親方はオメ-が口癖なので山羊親方と呼んでました。(笑)
korokoro様>
なんでも銃身が上にあがってしまうので、ほとんど当たらないそうです。
まして16の子供では無理でしょうね。
中国製トカレフで撃たれるのが嫌なので、具体的な事は書けませんが。
ただ一言、あいつら最低です。