(新)爺砲弾(時事放談)goo版

大陸浪人毛沢山が写真で中国文化を紹介してますw。

La Femme Chinoise_YMO(中国女性ファッションの巻2)

2012年05月07日 | ロックのお話の巻
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どこの国でも女性の関心事といえばファッションです。

親は人民服しかなかった時代でしたが、今の世代は自分の好きなファッションで身を包む事ができるのです。

私に住む地方都市はオサレな国際都市上海ではない小臭い都市なのですが、最近急速に人民のファッションスタイルが変わってきています。

 

女性はオサレにお金をかけます。

着てる服だけでなくバックやブ-ツもト-タルコ-デネ-トするのです。

ケンタッキ-をバックに撮したこの写真が中国の田舎で撮った写真とは思えないですが、本当です。(笑)

ちゃんと内股で歩く女性はスカ-トを履くのです。(笑)

なのでスカ-トの女性は少ないんだがw。

 

夫婦でお買い物か?

色違いのおそろいの帽子です。

中国人はあまり帽子被らないんだが、こういう人も増えてきたんですね。

 

前を歩くカップル。

どうしても女性の方がファッションセンスが良いので野郎はついていけません。(笑)

 

派手な赤い服のおばちゃん。

大阪あたりだとこういうおばちゃんいますね。(笑)

 

 

超ミニスカ-トのキャバ嬢かいなおねいさん。

豹柄がお好きなようです。(笑)

 

ちょっと太めのおねいさん。

赤い髪にボンレスハムみたいな黒いストッキングが悩ましい。(笑)

中国人女性って足長いんですね。

スタイル良い人多いんです。

 

これはなんか1960年代ヒッピ-みたいなファッションですな。

一歩間違うと古事記なんだがw。

愛と平和と葉っぱが似合いそうです。(笑)

 

ショッピングモ-ルは女性ファッションを売る店が圧倒的に多いです。

 

 

ファッションにお金を使う女性は格好のタ-ゲットなのです。

 

 

で、野郎のファッションのお店はこんな感じ。(笑)

これでも昔から較べるといろんな服並べてあります。

このお店名前がダ-バン。(笑)

 

 

競争相手の多い、女性向けのファッション店はインパクトがなければ集客できません。

お店の名前も色々考えるようです。

 

好色って・・・インパクトありすぎだろ?(笑)

もっと他の名前考えられなかったのか?。

 

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Changing States_ELP

2011年11月18日 | ロックのお話の巻

今日はいつもと違う雰囲気です。(笑)

ロック昔話しです。洋楽ロック好きじゃない人にはさっぱりわかりません。(笑)

邦楽は一切聞かない、強固な洋楽ロック主義者の私が敬愛する音楽家、キース・エマーソンのお話です。

(かなりフィクションの部分ありなので適当に流してください)(笑)

ローリング・ストーンズの女性バックボーカル、アメリカ人パット・アーノルドはイギリスでシングルデビューのチャンスを掴み、バックバンドを募っていた。

下積み時代のキース・エマーソン(キ-ボ-ド)は4人(ギタ-、ベース、ドラム)を集め彼女のバックバンドとしてバンド活動を開始。

しかしヒットに恵まれず、パットしなかったパット・アーノルドはさっさとアメリカに帰ってしまう。(笑)

残されたバックバンドはザ・ナイスとして独立しレコードデビュー。

一枚目のアルバムを発表してツアーを開始したら、ギタリストのデビット・オリストが薬中でラリッパッパ状態になってしまう。(笑)

彼をクビにしたバンドはキーボード、ベース(ボーカル)、ドラムの三人編成で活動を続ける事になる。

クラッシックをベースにした音楽性と、ステージでハモンドオルガンを引きずり回すエマーソンのステージプレイが話題になり、バンドは一躍有名になりレコードの売り上げも順調。

当時のプログレッシブロックの走りとして将来有望となる。

ある日の楽屋での会話(フィクションなので時間的なズレの問題は全部無視しております)(笑)

エマーソン「おい、ジャクソン(ベースとボーカル)お前その50年代の映画スターみたいな髪型と口ひげ、なんとかしろよ。それとその襟の張り出した横山やすしみたいなステージ衣装もなんとかしろよ。」

エマ「これから先進的なプログレッシブロックやる格好じゃねえよ」

ジャクソン「うるせえな、俺の勝手だろう。お前だってステージでローンレンジャ-のトントみたいな服着て、テンガロンハット被ってんじゃねえか、CCRじゃねえんだぜ」

エマ-ソンの不満はドラムのブライアンにも矛先が。

エマ「おい、おめえももっとステ-ジアクションしろよ。俺ばっかり働かさないでお前もなんかやれ」

ブライアン「俺はザ・フーのキ-ス・ム-ンじゃねえんだぜ。」

と言うわけで現状に満足して進歩がないプログレッシブ・ロックバンドにエマーソンは嫌気がさす。

そんな時、アメリカツアーで同行したキング・クリムゾンのボーカリスト兼ベースのグレッグ・レイクと話しをする事になる。

エマ「お前んところのバンド良いよな、21世紀の吉外が大売れじゃん。それにメンバーもテクニック凄いし、うらやましい」

レイク「でもよ、リーダーのフィリップは完璧主義者で大変なんだぜ、ちょっととちっただけで2時間もグチグチお説教だぜ、やってらんねえよ。」

エマ「そうか大変だな。でもよ俺んとこなんかボーカルが蚊が泣いてるみたいな声しかでねえし、おまけに訛りがあって良く歌詞がわからないだぜ」

レイク「どうだい、お互いにバンド辞めて新しいバンドやらないか?」

エマーソン「お!いいでんな、うまいギタリスト居ると俺が目立たなくなるからギタ-レスバンドにしよう。」

レイク「そうだな俺もギタ-引けるけどあまりうまくないし。ボ-カル重視のバンドにしようぜ。」

レイク「でドラムは誰にする。」

エマ「コ-ジ-だとすぐ飽きてやめちゃうから若い新人が良いな」

レイク「頭に火つけて踊るアホ、一発屋のア-サ-・ブラウンとこに居たドラムの兄ちゃんはどうだい?」

エマ「カ-ル・パ-マ-か?でもあいつアトミック・ル-スタ-に入ったばかりだぜ?」

レイク「俺たちの方が有名だから、誘えばこっちにくるだろう。大丈夫だよ」

 

という訳でエマ-ソン・レイク&パ-マ-は1970年にイギリスのプログレッシブ・ロックシ-ンで大活躍する事になるのです。

エマ-ソンの期待どおりグレッグ・レイクの甘いマスク(当時は、今はお相撲さん)で女性ファンをつかみ、カ-ル・パ-マ-のTシャツストリップやドラム・セットがグルグル回ったりでステ-ジアクションも派手。(対抗してエマ-ソンは空中でグランドピアノグルグル回りをしたがいまいちだった)

私は1972年に後楽園球場(今の東京ド-ム)の日本公演を見にいきました。

なつかしい思い出であります。

その頃は生まれてねえよ! 

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