すべての人は、罪を犯したので、
神からの栄誉を受けることができず、
ただ、神の恵みにより、
キリスト・イエスによる贖いのゆえに、
価なしに義と認められるのです。(ローマ書3-23・24)
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」
罪とは、殺すこと、犯すこと、盗むこと、偽ること、である。
社会は法律という手段によって、罪を犯した者を裁く。
しかし、殺すことの本源 . . . 本文を読む
キリスト教は愛の宗教であるという。
仏教が哲学的な宗教で、イスラム教が儀式的な宗教であるように、
キリスト教というのは愛を高唱する倫理的宗教であるという。
自分で聖書を読んだことがない人は、
「キリスト教=愛の教え」と勘違いするかもしれない。
しかし、それは違う。
もちろん、イエスは愛を説いた。
人類史上、最大の愛の権威者は、イエスである。
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人は、罪を一つだけ犯すとか、二つだけ犯すとか、
そういうことはできない。
人は、すべての罪を犯すか、全く罪を犯さないか、
二つに一つである。
一つでも罪を犯した者は、まるで堤防が一箇所決壊すると全壊するように、
すべての罪を犯すようになる。
そのいい例が、理想的な王と称されるダビデである。
今日は、ダビデの話。
ダビデはイスラエルの王だった、
敵対するサウルを打倒し、周囲の敵国 . . . 本文を読む
イエスはペテロに言われた、「わたしはあなたの上に教会を建てる」と。
(マタイ伝16-18)
教会とは、福音を保持し且つ広める選びの器であれば、
その土台として命じられたペテロは、随分と主に高く評価されたものである。
しかし、そのペテロは何であるか?
彼は、人間的な考えによって主に抗し、主にサタンとして退けられた者である。
(マルコ伝8-33)
彼は、イエスを決して拒まないと宣言しつつも、 . . . 本文を読む