だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
(コリント書Ⅱ5-17)
昔、殷の湯王は、昨日よりも今日、今日よりも明日の行いが正しくなるように、
下記の言葉を自誡の句として、洗面の器に彫り付けていたという。
「日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」(「大学」)
絶えず行状において向上せんと欲する真摯な態度が、
よく伝わってくる言葉だ。
キリスト者も同じである。
いや、キリストという罪なき人間を崇拝するが故に、
キリスト者こそ、かかる願望を大量に有しているのである。
「昨日の自分はキリストの精神に反する行為をしてしまった、
だから今日こそは、少しでも彼に近づきたい」
そのようにして、キリスト者は、殷の湯王や中国の聖賢以上に、
己に峻厳な倫理を課するのである。
しかし、これも随分難しい問題である。
私の実験より判断すれば、昨日の行状を後悔しても、
今日もまた同じ過ちを繰り返すのである。
後悔しては決意し、決意しては後悔し、日日同じことを繰り返し、
刀折れ矢尽きて、キリストに義とされた者が自分の行状を理由に、
主から離れる可能性がある・・・。
如何にしてキリスト者は、かかる倫理的煩悶を解決すればよいのだろうか?
人間には誰しも、一生付き合わねばならぬ友人がいる。
それは、己の性格である。別名、心の傾向性である。
あの人・この人は離れ去っても、自分の性格のみは、
最後の最後まで連れ添わねばならないのである。
臆病な性格も、無思慮な性格も、攻撃的な性格も、小心な性格も、
おっちょこちょいな性格も、石橋を叩いても渡らない性格も、
それがたとえどんな性格であれ、自分の性格とは別れることができない。
厳格な倫理を自分に課する者であればあるほど、
かかる自分の性格に失望するのである。
誰も、自分の性格を変えることはできない。
どんな思想も、どんな規則も、どんな欲求も、
自分の性格を変えることはできない。
しかし主のみは、我らの性格を質的に変化させることができる。
私は個人的経験と聖書の記事によって、そのことを確信する。
私の如き頑固で、攻撃的で、反抗的な性格でさえ、
回心してより7年間で、徐々に徐々に変質させて下さった。
これ、私の内省の力ではなく、年月の威力でもなく、
実に実に主の力であると思う。
ボアネルゲ(雷の子)とあだ名されるほど激情型のヨハネを、
イエスは愛の使徒に変え給うた。
おっちょこちょいで軽率なペテロを、
イエスは教会の柱石に変え給うた。
生来臆病者のルターを、
イエスは欧州の改革者に変え給うた。
日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり。
我らはイエスの中に没入することによって、
殷の湯王の理想を成就することができるのである。
実に感謝である。
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古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
(コリント書Ⅱ5-17)
昔、殷の湯王は、昨日よりも今日、今日よりも明日の行いが正しくなるように、
下記の言葉を自誡の句として、洗面の器に彫り付けていたという。
「日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」(「大学」)
絶えず行状において向上せんと欲する真摯な態度が、
よく伝わってくる言葉だ。
キリスト者も同じである。
いや、キリストという罪なき人間を崇拝するが故に、
キリスト者こそ、かかる願望を大量に有しているのである。
「昨日の自分はキリストの精神に反する行為をしてしまった、
だから今日こそは、少しでも彼に近づきたい」
そのようにして、キリスト者は、殷の湯王や中国の聖賢以上に、
己に峻厳な倫理を課するのである。
しかし、これも随分難しい問題である。
私の実験より判断すれば、昨日の行状を後悔しても、
今日もまた同じ過ちを繰り返すのである。
後悔しては決意し、決意しては後悔し、日日同じことを繰り返し、
刀折れ矢尽きて、キリストに義とされた者が自分の行状を理由に、
主から離れる可能性がある・・・。
如何にしてキリスト者は、かかる倫理的煩悶を解決すればよいのだろうか?
人間には誰しも、一生付き合わねばならぬ友人がいる。
それは、己の性格である。別名、心の傾向性である。
あの人・この人は離れ去っても、自分の性格のみは、
最後の最後まで連れ添わねばならないのである。
臆病な性格も、無思慮な性格も、攻撃的な性格も、小心な性格も、
おっちょこちょいな性格も、石橋を叩いても渡らない性格も、
それがたとえどんな性格であれ、自分の性格とは別れることができない。
厳格な倫理を自分に課する者であればあるほど、
かかる自分の性格に失望するのである。
誰も、自分の性格を変えることはできない。
どんな思想も、どんな規則も、どんな欲求も、
自分の性格を変えることはできない。
しかし主のみは、我らの性格を質的に変化させることができる。
私は個人的経験と聖書の記事によって、そのことを確信する。
私の如き頑固で、攻撃的で、反抗的な性格でさえ、
回心してより7年間で、徐々に徐々に変質させて下さった。
これ、私の内省の力ではなく、年月の威力でもなく、
実に実に主の力であると思う。
ボアネルゲ(雷の子)とあだ名されるほど激情型のヨハネを、
イエスは愛の使徒に変え給うた。
おっちょこちょいで軽率なペテロを、
イエスは教会の柱石に変え給うた。
生来臆病者のルターを、
イエスは欧州の改革者に変え給うた。
日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり。
我らはイエスの中に没入することによって、
殷の湯王の理想を成就することができるのである。
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