キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

生きるということ

2006-09-30 00:05:08 | 人生の慰め
私はいのちをいといます。
私はいつまでも生きたくはありません。
私にかまわないでください。
私の日々はむなしいものです。(ヨブ記7-16)



私は、いつも朝目覚めて思う。

今日はしっかり義務を果たす一日でありたい、と。

仕事を誠実に果たし、子どもに一生懸命関与し、

ブログを掲載し、自分の意見を発表するため本を執筆し、

無我夢中で働いてクタクタになり、

今日も何の成果もなかったことを悔やむ。

「ああ、今日も無益な一日を終えた」

一日の終わりは、いつもそう思う。

働いても働いても、接しても接しても、

書いても書いても、何の成果も称賛もない。

時々、そんな日々の積み重ねに、

刀折れ矢尽きて、死にたくなることもある・・・。


漠然とした不安、日々の不満足、憂鬱な人生、

そういった私の中の闇が、疲れれば疲れるほど、

いろいろな悪念をもって私を誘惑する。

人間というものは、非合理的な存在だ。

イエス・キリストによって救われたことを実感しても、

私の中の心の闇は、いつもいつも私を誘惑するのである。

いや、ますます熾烈さを増して、

私の耳元でささやくのである。

時々、自分が何をしたいのかさえ、わからなくなることがある。

ある時は、周囲の人々がみな天使に見え、

ある時は、周囲の人々がみな悪魔に見える。

ある時は、人生とは歓喜であると実感し、

ある時は、人生とは苦悩の連続であると痛感する。

何がなんだか、さっぱりわからない。


しかし一つだけ確かなことがある。

この一つの事実が、非合理的な私の闇を照らし、

私は、今もこうして生きていくことができる。

この一つの事実がなければ、私は私の人生に失望する他はない。

この一つの事実がなければ、私は日本の将来に絶望するしかない。

それは下記の事実である。


「神は愛です」(ヨハネ書Ⅰ4-16)


言葉は簡単である、しかしその意味はきわめて深遠である。

この一大事実なくして、

人間はこの非合理的な人生を生きていくことはできないと思う。



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感謝に感謝 (levi)
2006-10-01 06:05:44
 宮内さん、「感謝」に感謝しております。

 宮内さんは御自身のペースをつかんでおられる方と思いますので、それこそ「気の向いたら」で、ごゆるりとなさってくださいね。



 エステルさん、はじめまして。

 教会が、それも教会学校がヒルティを配るだなんて、いやーシュールだなー、と思います。

 今後ともよろしくお願いします。
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さらに感謝 (宮内 学)
2006-09-30 23:53:04
Leviさん、ご心配頂き、ありがとうございます。

「日本社会への警告」は毎日更新しようと思っているのですが、「キリスト者の慰め」は時々更新しようと考えています。ですから気が向いたら更新するようにしていますので、あまりご心配頂かなくても大丈夫ですよ。(笑)
返信する
感謝 (宮内 学)
2006-09-30 23:50:25
エステルさん、コメントありがとうございます。

そうですね、見習いたいと思います。

ありがとうございます。
返信する
ヒルティの幸福論 (エステル)
2006-09-30 23:13:16
こんばんは。

ヒルティの幸福論。子供の頃、教会学校に通っていて、何故か、皆勤賞ですからと

言われて、その賞品として、いただいて、

読んだ記憶があります。

もちろん、その時に読んだのは、子供向けに

易しくアレンジした幸福論でしたが、

充分大人(?)になった今、改めて

岩波文庫の3分冊を読んでみたいです。

たしか、3冊あるんでしたよね?

ちなみに、私はある事情もあって、

大学の法学部にも在籍しており、

ヒルティが法律家であったことも

先日知り、なおさら興味が尽きません。

この様な私ですが、皆様、よろしく

ご教示くださいませ。

それと、どうぞ、心身共に

ご自愛くださいませ。お祈りしております。

ありがとうございます。
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神は愛するが故、患難を与える (Levi)
2006-09-30 07:26:01
 ここ最近、更新ペースが落ちていたことは気に掛けておりました。

 ご心労お察しします。そしてお辛いことと思います。



 「神は愛なり。」

 そうです、それが故に、正に愛するが故に試練を与えてくださるお方です

(ヘブル12:5-11、まあ、この箇所は「罪との戦い」についての文脈のように思いますが。)



 スイスの法律屋ヒルティも書いています。

 「多くの苦しみを受けること、これは避けられないものだ。だから、甘んじてそれに従いなさい。」

 「人生の幸福は、困難に出会うことが少ないとか、全くないとかいうことにあるのではなくて、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある。

 力というものは、弱点にうち勝つ習練から生じるのである。」

 「どんな幸福な生活にも起こる数多くの試練や心労を、堪えがたい重荷と考えるか、それとも自分の生活原則を実行し修練するために、神から授けられた機会だと見るかは、ものごとの感じ方として大きな相違である。そして結局、この感じ方次第ですべてが決まるのである。」



 あと、およそ苦難に遭わない人というのは、神から完全に見捨てられたヤツだという旨も、どこかで書いています。

(上記引用は、「眠られぬ夜のために 岩波文庫より)



 彼は法律屋の人生を全うするわけですが、その中このような「倫理?」を持ち続けて職務を遂行し続けました。

 「クライアントのためならば、白を黒というのもへーきのへの世界」。



 すると、もう当然にして「幸福論」(岩波文庫)という本、これはもう、書くべくして書いたのだと思います。

 彼は、繰り返し、「教会制度」を批判していることを付記します。



 少しペースダウンして、力を蓄積することも大切ですよ。

 ですので、コメントへの回答や、またブログ自体も、まあ、二の次くらいの位置に置いておくのも、いいのではないでしょうか。



 「体あってこそ、書ける」わけですからね。

 そうですね、「神は愛なり。」ほんとにそうですね。

 だからこそ、なおのことご自愛下さいね。



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Unknown (エステル)
2006-09-30 06:38:55
おはようございます。

私も社会人かつ夫があります。

Eliyahさんのよう思う事、ほぼ

毎日です。空しいけど、『神は愛です』

がなければ、何のために生きているのか

解らない。

話は変わりますが、私は東京都在住の者

で、横浜で開かれている星野富弘・詩画展

に行ってきました。星野さんのことは

知っていましたが、原画を見たのは

初めてでした。星野さんの絵を表紙にした

新改訳の新約聖書(@400!)を買いました。

これをカバンに入れておいて、日々

少しずつでも聖書に触れ、『神は愛です』

を生きたいです。

涙の谷、の人生。星野さんも生きているのが

辛いのだと、素直に言いつつ、それでも

感謝を忘れない人生を送っておられます。

私共も、見習おうではありませんか!

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