キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

世の罪

2011-07-31 17:20:25 | 聖書原典研究(ヨハネ文書)
ところで,弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。
「実にひどい話だ。誰がこんな話を聞いていられようか」
(ヨハネ伝6-60/新共同訳)



「ひどい」と訳されているスクレーロス(σκληροσ)とは,

新約聖書ギリシャ語辞典(織田昭著)によれば,

「硬い,粗野な,厳しい,耐え難い」という意味が紹介されている。

だが,辞書的意味をもって聖書を解釈するということは,

結果的には自分の聞きたい内容を投影することだということを,

以前の投稿記事において指摘したと思う。

辞書というものは,聖書記者の個性を無視して,語の公分母的な意味を紹介するもの。

それはすなわち,何でもない,当たり障りのない意味を,

読者に紹介するということに他ならない。

我々は,この記事を書いたヨハネという人の言葉の特徴を吟味して,

ヨハネの意図した内容を知らねばならない。


聖書記者は,非常に旧約聖書に影響されて,彼ら独自の文書を書いている。

たとえば,マタイはサムエル記や詩篇に,マルコは第二イザヤやダニエル書に,

パウロはヨブ記や三大預言書に,きわめて影響されている節がある。

ならばヨハネはどうかというと,ヨハネ福音書の引用の頻度からすれば,

創世記と出エジプト記に影響されていることは,

多くの聖書研究者が指摘するところである。
(R・ブルトマン「ヨハネ福音書」)

福音書記者ヨハネは,ヨハネ伝の最初と最後を創世記に似せて,

その間の大部分は出エジプト記を念頭に置いて,

ヤハウェがイスラエル人を導いたように,イエスがキリスト者を導いている,

という物語設定をしている。

しかもヨハネの旧約引用の仕方は,他の聖書記者達とは随分異なる。

ルカは旧約を正確に引用するが,マタイはその本質さえ引用できればよいと,

あまり言葉の正確さは期さない。

ならばヨハネはどうかというと,

旧約聖書の記事を読者が深く深く知っているものと想定して,

あるいは微妙に変えたり,あるいは暗に示唆して引用したりする。

であるから,ヨハネ伝であるからこそ,

我々は旧約聖書の内容及び言葉使いを,よくよく知悉せねばならないのである。


スクレーロス(σκληροσ)とは,

神がエジプトのパロをかたくなにしたときに使われている語であって,
(出エジプト記14-17)

神の御心を知らない,知ろうとしない,

すなわち,神に反抗している人間心理を表現する時に用いられている語である。

であるから,単に「ひどい」という,

まるで人間相互の常識に反するという意味だけではなく,

明らかに,神に反逆している人間の性質が表現されているのである。


ヨハネ伝の執筆動機からすれば,こういうことになる。

イエスは神である,旧約の神ヤハウェの位置に立つ者である。

その神に対して,民衆も弟子(!)も,神に逆らう者として罵った。

神に対して,「お前は神に反逆する者だ!」と言ったのである。


世には多くの皮肉があるが,最大の皮肉とはこのことである。



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