最近、若い人達に社会通念の欠如を感じます。
PC、ネット、携帯等の発達から更に政治が仕組んだ世界経済のグローバル化。
これらの科学発達が大きな要因である事は疑う余地もありませんが、
一番の欠如は・・・『家庭教育』。
かく言う私に資格はないのかも知れないが、現在大人と言われる人達は、自信を持って若い人に意見を言えるだろうか? 甚だ疑問である。
まず、政治と社会面から見ると・・・
若い人達は60年安保闘争。70年安保闘争。といった戦後社会の大きな転機、当時の政治運動を知らない。
その闘争は次第に激しさが加わり、赤軍派→よど号乗っ取り→テルアビブ空港乱射事件という風に、体制批判が社会破壊に変貌し終焉を迎えた訳だが、現在も、拉致問題という大きな負の部分が解決されていない。
この赤軍派は革マル派といわれる過激セクトを飛び出した超過激な社会破壊主義者達の集まりであった。そして、彼等の家庭を振り返ると・・・教師の家が多かった。
この実態を語る人はいないが、戦後日教組運動に大きな間違いがあったのだろう。
革マルの名前は・・マルクス主義を革命的に起こそう。との考えからきている。
古くからの日本伝統が持っていた優れた家族主義、社会倫理観を、偏向した考え方に踊らされた集団が壊していったのだろう。暴力集団も生まれたし、この事実は認めなくてはいけない。
ひるがえって現在を見ると、
現民主党内には、この革マル派に通じた議員がいたり、残党組織と云うべきJR総連より資金提供を受けてる議員がいたり、相変わらず日教組を始めとした組合組織の資金、票頼み議員が多いのは大きな矛盾だ。
政権幹部の数人はいわゆる左派と極左派がいる故、当然の如く、今回の尖閣問題対応に対しても中国寄りだ。結果的に、昔からの伝統と社会倫理観を破棄しようした運動の60年、70年安保闘争時代の理論で、政治を司っているとしか思えないような発言が・・メディアを騒がしている。
『暴力装置』という言葉は、レーニンが軍隊、警察組織を革命に際して使ったカビの生えた言葉だ。そんな言葉を現代で使う呆れた人間が政権にいる以上、若い人にこの就職難時代・伝える言葉が見つからない。
政治を不毛のものにしている議員達、そして、日本社会はより殺伐となっており、国籍を持たない中国人、朝鮮人への優遇政策のみが際立つ。
それは、倫理的、論理的に考えても大変におかしな国家政策である。
経済面をみると、
フリードマンが提唱した『新自由主義』『金融優先主義』がヨーロッパ連合結成運動と重なるようにして波及し、各国の抱える問題を無視した形で・・金銭崇拝が起きています。
日本では、フリードマンに影響を受けた竹中元金融庁々官、彼に同調した小泉元首相によって、大企業優先政策、国民財産の一部企業への売却等の失策。
挙句に、年金等の資産運用には外国企業が半数以上。と恐ろしい状況は現在も続いている。グローバル化の美名の下に行われた日本社会変革は真に失敗だったのです。
ユーロ圏では、財政破綻が相次ぎ、今後は世界経済の火薬庫になりそうな状態です。
更に憂うことは、
何処の国の内情をみても、環境問題と併せ、雇用が重大な問題となっていることです。
グローバル化は一握りの金持ち優遇政策であり、いずこの国も相反するように重大な内政問題、財政問題を抱える。朝鮮半島では既にドンパチ始まっています。
日本では、終身雇用の破壊によって就職難、過疎地化。一次産業への無理解から社会基盤の破壊へと・・重症状況です。あげくに財政赤字は900兆円です。
又、新自由主義・グローバル化の難問は、金融商品に限らず、土地、環境等においても証券化を計る拝金主義であり、国の社会基盤に対して、政治が責任を負わない。という恐ろしさです。
そんな時代であるから、若い人達に社会通念の欠如を感じるのも無理はない。
又、家族崩壊にも驚かなくなっている。
では、『今後に、重要な事』については次のように考える。
この時代、人間にとって平等な事とは何でしょう。選挙権を持っていても投票先が事実上ないに等しいでは、平等はない。民主主義という言葉のむなしさである。
本来は『生きる権利』が一番大切な権利な筈である。が、現段階で「生きる権利」は無視されている。責任はグローバル化を推し進めた政治家達とグローバル化によって利益を得る企業にある。
例として上げれば、
キャノンの創業家出身・御手洗氏は、臨時雇用の名で長年勤務した人達を平気で解雇し、カメレオンの如く、人件費だけが安い海外へ工場を移転させている。又、海外賃金が高くなると見込めば、日本の閉鎖した工場を再起動させる動きを見せている。
このキャノン・御手洗氏に見られる『拝金主義』を竹中、小泉路線が背中を押してきて今日の日本経済閉塞感に繫がっているのは、大きな負の原因の一つだ。
故に、これからの時代、
個人能力が頼りであり、協調を求め歩調を合わせ生きて行く為には、近代歴史を少し勉強する必要が有り、従来の意識を共有する人のみが友人となるであろう。それは、企業人として生きる人間にも・・当然の重要課題となるはずだ。
同様な考えの友人の輪が大きくなればなるほど、社会的には優遇され、優遇する立場になり、社会を考え、変えられる人間へ成長するのだろう。
但し、私の言う事は、組合活動を意味していない。組合活動は既に御用聞き組合か又は賃金闘争のみの組織に堕落しているからである。
働く意味と喜びを得るためには、自らの能力をもって羽ばたく事だ。
私は、無力な若者に期待しない。又、権利ばかりを主張する年寄りをも馬鹿にしている。
これからの時代、年金、組合など70歳以上の人間達が食い荒らしてきた組織を見捨て、意地で社会を生き抜くのみだ。人口の少ないスウェーデンのような社会でさへ、年金問題は山積だ。日本の将来に・・福祉の灯りは見えない。
つまるところ、努力なしには良い生活、良い世の中は作れない。ということになる。
ライバルは周りの日本人ではなく、海を越えた同世代の人間達である。
そんな風に考えれば
仕事に対する考え方も自ずと決まってくる。個性がなければハジキ飛ばされるだけだ。
商売相手は日本人だけではないのである。
個々の商売は・・個々で考えよ。である。
サッカー小僧として楽しむのも良いが将来への設計を常に持って頂きたい。
今日は、こんなとり止めもない事柄を書きました。
読みにくい文章についてはお許し下さい。
・・・では。
2010.11.28
Yoh-M.