ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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グレート・ギャツビー/スコット・フィッツジェラルド

2006-12-27 22:11:31 | 
この本を読みながら考えていた二つのことについて、翻訳した村上春樹氏があとがきで明確な答えを用意してくれていた。
僕などが考えつくようなことはとっくに解決されているものなのだ。

まずひとつめはに思っていたのは、外国文学を日本語に翻訳した本で読むときのどうにもフィットしない言葉の感覚のことである。
それが古典で古い翻訳ともなると、内容以前のところで上滑りしてしまうことがよくある。
だから村上春樹氏がこの作品の翻訳にあたって「アップデート」ということを意識したというのは、とてもよく共感できた。

もうひとつは、読み進めるにつれてこれは「村上春樹のグレート・ギャツビー」だなと思ったこと。
あとがきで村上氏はこの作品が自身に与えた影響の大きさについて珍しく前のめりになって語っている。
そしてこの作品の翻訳にあたっては自らの作家というキャリアを最大限に活かそうとしたということも。

英語的に流麗で完成度の高い文章を訳していくには作家的な視点がどうしても欠かせなかったのであろう。
原文の細かなニュアンスが分かるほど英語に長けているわけではないけれども、一読して、
村上氏が一語一語を丁寧に丹念に訳していったという苦労のあとは十二分に分かった。
訳によって物語の質感や受ける印象は全く違うものになる。
村上氏が訳したことによって「グレート・ギャツビー」が氏にとって
作家人生を左右するべき作品であるということも、何となく腑に落ちるところがある。

初めてこの作品を読んだときには僕自身が若かったせいもあるが、いまひとつ感応して読むことができなかったような気がする。
若すぎて物語の深みに到達できなかったということもあるのだろうが、
それは、もしかするとギャッツのというよりも語り手のニックの諦観に近づけなかったことによるものなのかもしれない。