江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

水稲荷

2015-12-12 | まち歩き

水稲荷神社は、新宿区西早稲田に在る神社です。江戸名所図会が書かれた江戸の頃は、高田稲荷明神社と呼ばれ、高田馬場よりも東側、穴八幡宮の北隣に在りました。水稲荷が高田馬場の北側の現在地に遷座したのは、昭和三十八年(1963年)のことで、旧地には現在は早稲田大学が建っています。
水稲荷と呼ばれるようになったのは、元禄十五年(1702年)に椋の根元(江戸名所図会では榎の椌)より霊泉が湧出し、眼病を患う者が、その水で目を洗ったところ、治癒したことから、この地に住む人々が水稲荷と称するようになったためです。
境内には、高田富士と呼ばれる、江戸切絵図[1][2]にも描かれた富士塚が在り、これも旧地に在ったものが現在地に移されたものです。他には、高田馬場での堀部安兵衛の助太刀を称える石碑等が在ります。

水稲荷は、時代小説の中では、鬼平犯科帳(十)「追跡」(池波正太郎著、文藝春秋)の中に登場しています。火付盗賊改方・長谷川平蔵は、目白台の私邸にほど近い雑司ヶ谷の鬼子母神を参詣した折、かつて火付盗賊改方の目明しを務めていた、甚五郎という男を見付けます。甚五郎には、盗賊に盗賊改方の情報を流したのみか、盗賊の盗み働きを陰から助けた過去があり、それ故に平蔵は甚五郎の尾行を開始します。ところが尾行の最中、平蔵の前に「一手、お教えをたまわりたい」と立ち合いを望む下氏九兵衛と名乗る浪人が現れます。平蔵は九兵衛のせいで、甚五郎を見失い、厄介ごとに巻き込まれます。この九兵衛は、水稲荷の裏手に在る剣術道場に仮寓しています。

 

[1] 大久保外山高田辺之図(嘉永四年/1851年)
[2] 牛込市谷大久保江図(嘉永七年/1854年)

 

水稲荷神社 新宿区西早稲田3-5-43
都電荒川線早稲田駅から約400m 徒歩約5分
東京メトロ東西線早稲田駅から約1,000m 徒歩約13分