江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

住吉神社

2013-06-08 | まち歩き

江戸の頃、隅田川の河口には、佃島という小さな島が在りました。現在の中央区佃の辺りが島だった場所です。明治時代に周辺が埋め立てられ、もはや独立した島ではありませんが、古地図[1]に描かれた道や入堀の形状は今も同じことが確認出来ます。住吉神社は、佃煮発祥の地としても知られる、この佃に在る神社です。


佃島は、もともとは隅田川の河口にできた干潟でした。この土地を埋め立て、島を築いたのは、この地に移住した摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁夫等です。徳川家康が上洛した折に摂津国の住吉神社(西淀川区佃に在る現在の田蓑神社)に参詣した際、佃村の漁夫が渡し舟を出して家康一行を運んだことが縁となり、天正十八年(1590年)に徳川家康に従って関東に下り、この地を拝領し、永住することになったという次第です。佃島の「佃」は、この漁夫等の故郷の名から名付けられたものです。
佃島の住吉神社は、漁夫等の故郷の神社である摂津国の住吉神社の御分霊を、長足姫命(神功皇后)並びに東照御親命(徳川家康の霊)の御分霊と共にお祀りした神社で、天保三年(1646年)に創建されました。


時代小説の中の佃島は、漁師の島という特殊事情もあってか、ここが舞台となることは余り無く、どちらかと言えば、海を隔てて向こうに眺める存在です。そのため、住吉神社が登場することも稀なことなのですが、鬼平犯科帳(二十二)(池波正太郎著、文藝春秋)の「座頭・徳の市」の章の中では、対岸の鉄砲洲から住吉神社の大鳥居が見えるという場面が登場しています。


[1] 京橋南築地鉄砲洲絵図 文久元年(1861年)


住吉神社 東京都中央区佃1-1-14

東京メトロ有楽町線・都営大江戸線 月島駅から約500m 徒歩約7分


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鉄砲洲から眺める住吉神社の大鳥居。堤防が築かれた現在においては、かろうじて鳥居の上部だけが見えます。