江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

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「ミーラ(ミイラ)」、「ウルユス」と言う売薬  医学に関する奇談異聞

2019-09-28 19:41:27 | ミイラ薬

「ミーラ(ミイラ)」、「ウルユス」と言う売薬
                               2019.9

「医学に関する奇談異聞」(大正6年)と言う書物に、江戸時代のミイラの薬用についての記述があります。「ミイラ」ではなく、「ミーラ」となっていますが、そのままにして、現代語に訳しました。

以下、本文。

江戸時代の頃に、「ミーラ(ミイラ)」「ウルユス」という売薬があって、一時、大いに売れたことがあった。
昔も今も、舶米品を好む人心は同じことであって、殊に江戸時代の頃は、オランダ(和蘭)より舶載する薬品を珍らしがり、不思議の功力あるものの如くに信じていた。それで、ずるい商人の中には、手製のいかがわしい売薬にも、洋名まがいの名をつけて売り弘めた。「ミーラ(ミイラ)」「ウルユス」の如き者が、すなわちこれである。

「ミーラ(ミイラ)」は、今日、人の周知する様に、人の死体を乾燥したものであるが、江戸時代の延宝天和の頃には『ミーラ』と称した薬が、大いに流行した事があった。
想うに「ミーラ」の外国名であることは、以前から世に知られていて、「和訓栞(わくんしおり)」にも「ミーラ、質汗(しつかん)のことである。外国語である。」と記るされていた程であった。
そうであったので、奇を好み、船来品を珍らしがる人心に乗じて、わざと「ミーラ」と言うような名をつけて、舶来の西洋薬のように見せかけて、利をむさぼったものであろう。

「八十翁昔話」に、延宝より寛文の頃まで.「ミーラ(ミイラ)」と云う薬が流行して、婦人は、特にこれを服用し、諸病に宜しい、として大いに広まった。
あちこちの薬舗にも売っていた。
その中でも、赤阪に長崎屋という薬舗があったが、特別に安かった。
「ミーラ(ミイラ)」を、(等級に分けて、一包装を)、十銭の價、二十銭或は十五銭の品に分けて売っていた。
多くの人が、これを買い求めて服用したが、何にも効かず、害もなかった。その後 次第に売れ行きが止まった。
とある。この記事を見ても、オランダ人、・・・中略・・・この貿易地であった長崎の地名をかりて家号として、「ミーラ」と言う名をつけて西洋薬に見せかけ、諸病に卓効ありと称して世に売り弘めたずるい商人がいたことを、推察できるであろう。
当時「ミーラ」なるものを一種の薬の様に思っていたのは、ただに一般の人だけではなく、学者の中にも、このように信じていた者さえもあった。

有名な国学者である伊勢貞丈の「安斎隨筆」にも、『この薬は、アラビヤの国より出だす』と記るされている。
この様な世間の認識であったので「ミーラ」と称する売薬が世俗間で盛んに売れていた。
また、当時多くの学者間に読まれていた中国の書物の中にも「木乃伊(みいら)」のことを記して、薬効あり、などと称するものあった。

たとえば、『輟耕録(てっこうろく)(著者の陶宗儀は元末の人)』に『おおよそ、手足の骨折には、少しばかり食べれば、立ちどころに治る 云々』とあるように。

又、邦人の著書、たとえば「幸庵筆記」にも、
「木乃伊(みいら)は、交趾(コウチ:今のベトナム)と暹羅(シャム:今のタイ国)との間に、三百里許(ばか)りの砂原にある。

日本へ渡来したものは、過半は人工のミイラであって、これは、火屋(焼き場)の柱に、年々たまった人の油を取り、松脂の古いのを以って錬り合せて造ったものである。
これも効果があった。」と云う様な荒唐無稽の記事があった。
そうであるから、当時の俗人が「ミーラ」を蛮國(外国)より渡来せる珍薬と誤信し、其の名を附けたあのいかがわしい売薬を、諸病に効ありと思って服用したのも無理ならぬ事と云えるであろう。

しかしながら、その効験が特に無かったために、ついにこれを服用する者がいなくなったのも、また自然の事であろう。
天保年間に刊行された『八十翁物語』にも、六七十年前(延宝天和の頃)「ミーラ(ミイラ)」と云う薬 大いにはやったが、何の益も無なかった事を記るしている。


『ウルユス』というのは、明和天明の頃に行われた売薬である。
その頃は、上下奢侈に長じ、阿蘭陀舶来の品を愛用して長崎より取り寄せた時代であった。
この風潮を利用し奸商(カンショウ:ずるい商人)は、『オランダ何々」「長崎何々」と言う様な看板を店頭に掲げ、自家製の物品をも舶来物と称して、世人を欺むき、暴利を貪ぼった者も少なくなかった。
「ウルユス」もまたその一つであって、和蘭語(オランダ語)らしく思わせ、舶来薬のように、装って盛んに売り弘めたものである。

松浦静山の「甲子夜話」に、この「ウルユス」の事を記るしている。
これに依れば、「ウルユス」の紙包みに、「ウルユス」の義は、阿蘭陀国回斯篤児(オランダ国のヘストル氏)の一大奇方で、我国に渡航してきた時に、この薬方を、教えてもらった。
この薬方は、痰より起る諸病を治し、溜飲を下し、精気を治め、その重い病者を救ったことは、ここに述べるに遑(いとま)がない「云々」と書かれていた、との事である。
しかし、この薬は決して洋薬では無い。腹を空(むなし)くし、消化を助ける薬という処より、空ふすの空の字を三字に分割して、仮名字の『ウルユス』とし、洋薬のよう見せかけて世人を騙した物である。(大槻文彦氏の説に拠る)。
今、世に続出する新薬の類にも、右の「ウルユス」「ミーラ」とその発想法を同じくする俗物が少なくない。糠、豆等より製したる平凡の薬にさえ、洋名を冠して世に売り弘める者、大正の今日にも在るを思へば、江戸時代の俗人が「ミーラ」「ウルユス」の名に欺むかれて、これを奇薬と信じたのも、また怪しむに足らないであろう。噫(ああ!)。

編者注:大正時代のみならず、昭和平成の現代でも、非日本風の商品名、会社名などが多い。
これらから見ても、江戸時代に、現代での商品名の命名法の原形があるのは、明白ですね。
例を挙げれば、キリがありませんが、ここは薬品名をあげて見ましょう。
風邪薬のストナ、ジキニンは、それぞれ、スーット治るの意、じきに治るの意です。
頭痛薬のケロリン、ハッキリは、それぞれ、ケロッと頭痛が治るの意、頭痛が取れて頭がハッキリするの意です。
会社名のサンリオは、山梨を音読みにして(サンリ)オを付け加えたものです。
いずれも、カタカナ名で、一見洋風に見せていますが、実際は日本語から、ひねり出した物です。

しかし、こうすることが必ずしも悪いわけでは無いようです。
ある、証券アナリストによると、ここ最近では、漢字名の会社より、カタカナ名の会社の方が、営業成績、株価上昇率が良いとのことです。
うーん?!



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