黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

【お気に入り】 神護寺参拝 その4 【登録】

2012-06-07 19:24:31 | 京都の寺社・御所・離宮
神護寺の堂塔の多くは木々に囲まれていて全体像がよくわからなかったりする。受け付けでもらった
パンフの地図がなければ場所がわからないかもしれない。そのうちの多宝塔は金堂の後方に建っている。






多宝塔は先述の山口玄洞寄進の昭和の建築である。堂内には国宝の五大虚空蔵菩薩像が安置されているらしいが、
秘仏のため通常は非公開、5月と10月に数日間だけご開帳があるそうな。

金堂のほぼ並びにある鐘楼。江戸初期の再建であるが、こちらには貞観17年(875年)に鋳造された
梵鐘があり、三井寺・東大寺or平等院の梵鐘と並び日本三名鐘とされている。国宝。残念ながら
通常非公開で聴くこともできない。


空海による伝法潅頂に使われたという閼伽井        カエデが絵になる地蔵院
 

境内の奥には和気清麻呂の墓がある。金堂の裏手の山道を5分ほど歩く。


墓とされる場所は土が盛られた場所の上に近代に建立された石碑が立っていた。
 

以上、境内を巡ること2時間。あのお薬師さまを拝観できたし、自然の空気もいっぱい吸ったし、緑葉はとても
美しかったし、どうやらお気に入り上位にランクインしたお寺となりました。神護寺の近くには西明寺・高山寺
などの名刹古刹もあり、そちらは次回に訪れた時の楽しみということで・・・。





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【ふとましい】 神護寺参拝 その3 【お薬師さま】

2012-06-05 17:43:58 | 京都の寺社・御所・離宮
神護寺の本堂にあたる金堂、たいそう立派な威容のあるお堂だけれど、昭和の造営で実業家である
山口玄洞からの寄進であるという。このお人、何者?と調べてみたら、一代で財をなした大富豪で、
その巨万の富を惜しげもなく社会に還元し、またこの神護寺の他、醍醐寺や延暦寺などの寺院に100を数える
堂塔を寄進したというすごいお人。源頼朝、豊臣秀頼、桂昌院に比してもまったく劣らない規模の仏閣再建を
施した人である。でもこの金堂、落書きがひどかった・・・。なんとも痛ましい・・・。このような山奥のお寺まで
来て、お堂に落書きをして帰るっていう者の精神が全くわからん。心の浅いくろこまとしては、このような
落書きをした者たちの不幸を祈らずにはおられないのです・・・。






さてこの金堂におわすご本尊、以前から仏像の本を見開くたびに気になってしょうがなかった薬師如来さま、
ドスの効いた顔・・・盛りすぎの肉髻・・・でっぷりと太ましい体・・・威圧感が半端ない姿。街で出会ったら
「オラオラ、どかんかいワレ!」とか言われそうで、目を伏せて逃げるでせう。その薬師如来さまは金堂の
お厨子の中に立っておられた。

ん?本で見たのと感じが違う? 

怖い顔とはとんでもない!なんとも気高く神々しく慈悲のオーラが満ちあふれている仏さまではないか・・・。
優美な造形の右手の施無畏印がそのオーラの源である。すべてを受けて止めてくれそうな手。位置を変えて
斜め横から拝観する。すると今度はなんともユーモラスで可愛らしいお姿に見える。それは短く太い腕が妙に
生々しく人間的で可愛らしい印象を与えているからか・・・。そして横から見れば指も手も短く太かった。

薬師如来の脇侍として鎌倉期作の日光・月光菩薩がおわすが、こちらはガリガリの体である。太ましい
薬師如来に栄養を全部持ってかれて痩せ細ったような・・・。さらに室町時代作の十二神将が守護して
内陣を固めている。

他に人がいなかったので、じっくりとあちらこちらから座ったり立ったりしていろんな角度から
拝観できて至極満足であった。家に帰り、再び本で神護寺の薬師如来像を見てみる。怖い印象は消えて、
ただただありがたいお姿がそこに見えた。


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【京都高雄】 神護寺参拝 その2 すばらしいエントランス!

2012-06-03 12:59:50 | 京都の寺社・御所・離宮
楼門をくぐると、視界に入ってくるのは地面に敷かれた小石と木々の緑のコントラストがなんとも感動的に
すばらしい広い境内。堂塔も木々に隠れて視界の先は木々と空のみ。思わず「ほうほう・・・」と唸らざるを
得ない風景である。




 

神護寺は道鏡事件で有名な和気清麻呂を開基とし、最澄が入山し空海が住持した由緒ある大寺である。


楼門から見て右方のならびに和気清麻呂の廟所がある。ちなみに元々あった廟所護王社は明治天皇の勅命
により蛤御門の前に遷座され、いのししで有名な「護王神社」となっている。


神護寺境内にはさして古い堂塔は残っていない。災害や応仁の戦火で焼失した後、近世以降に再建された。
五大堂は江戸初期建築                     毘沙門堂も江戸初期建築
 

他堂が瓦葺なのに対して唯一杮葺きの屋根を持つ大師堂は桃山期の造営で重要文化財。元は空海の住坊で
あったという。


以上の境内をひとまわりして大師堂の先にある石段を登れば、「あの」薬師如来をご本尊とする金堂が見えてくる。


続きは次回に。


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【新緑の高雄】 神護寺参拝 その1 石段を降り登り・・・

2012-06-02 21:49:46 | 京都の寺社・御所・離宮
新緑が鮮やかな京都高雄の神護寺に初めてお参りしました。高雄の山中にあるお寺なので交通手段は
車かバスのみ。今回はJRバスで円町から乗り込んで出発です。バスは通勤通学時間の西大路通りを
走るので満席状態でしたが、立命館大前でどっと人が降りて、そのあとは自分を含めて3人が乗るだけの
ほぼ貸切状態に。カーブの多い坂を走って約30分ほどで神護寺の最寄バス停である「山城高雄」に到着。
バス停の傍が神護寺への参道入り口となっていました。いきなりの下り石段です。
 

高雄は秋は紅葉の名所として有名で、渋滞ができるほどの混雑振りになるとか?
でもこの日は梅雨前の平日の朝なので人は全く見当たらず、新緑の中で鳥のさえずりに加えて
下から聞こえる清滝川のせせらぎの音も心地よく、癒しゲージはMAXに!そして石段を降りきった
ところに清滝川にかかる朱色の高雄橋があらわれる。この橋からの眺めは最高にいい。


 

そしてこの橋を渡った先に「下乗石」 鎌倉後期の正安元年(1299)のもので在銘では最古のものだとか。


この下乗石から先が、今度はなんと登り石段・・・。しかもすごくキツいし・・・。
それまで軽快に気持ちよく歩んでいたのに、一気に暑さも増してくる。いつもの西国巡礼ならそれも
覚悟の上なんだけど、今回はまったくの観光参拝なので、キツいのは嫌!歩くのも嫌!なのに容赦のない
急坂の石段が続く。しかも先ほど降りてきた石段の数も相当長い距離ではなかったか?帰りはあれを登るのか?
と帰路の不安も覆いかぶさってきて・・・。とかなんとか考えているうちに「硯石」という大きな石のところに到着。
 

この「硯石」とは、弘法大師空海が神護寺に在山の時、勅願の依頼を受けられたが、五月雨で橋が
流されたため、この石を硯として対岸に立てかけた額に向けて筆を投げられたところ、見事に『金剛定寺』の
四文字をかかれた・・・とか。空海ヒーロー伝説は尽きないですな。

さてこの硯石までくれば、神護寺はもう目の前!


最後の力を振り絞って楼門に到着。仁王門ではなくて持国天・増長天が守護する二天門。カエデがいい具合に・・・。




続きは次回。

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