久しぶりの晴天の今日、地元舞鶴の円隆寺に散歩がてら行きました。地元も地元、家から歩いて5分
ぐらいのところにある真言宗御室派の寺院で創建を行基上人と伝える古刹です。
近所なんですけど訪れるのはたぶん小学生の時以来・・・。近くにあるとそんなもんです。
総門は仁王門ではなくて四天王像を安置する四天王門とも言うべき門です。表側を増長天と持国天、
裏側を多聞天と広目天が守護しています。江戸中期再建、京都府指定文化財。
総門を通りると右手に草生した敷地に大師堂があり、先進して石段を上がったところに本堂があります。
円隆寺は度重なる天災や火災で平安期以来の建物は消失して、今残るのは江戸中期以来の建物です。
しかし本堂には本尊である伝定朝作の釈迦・薬師・阿弥陀の三尊像の他、不動明王立像や毘沙門天像などが
火災の際にも信者の手によって運び出されて今に残ります。いずれも重要文化財ですが、通常非公開です。
映像や写真で見たことがありますが、金箔が多く残る三尊像はどっしりとした丈六像で平安期の作風と
はっきりわかる仏像です。
本堂横には聖徳太子堂と観音堂があります。太子堂は厨子が閉まっていて見えませんでしたが、観音堂は
聖観音菩薩のお顔だけが見えました。
江戸中期再建の多宝塔。小学生の時にこの塔を写生したのを思い出しましたよ。
薬師堂
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ぐらいのところにある真言宗御室派の寺院で創建を行基上人と伝える古刹です。
近所なんですけど訪れるのはたぶん小学生の時以来・・・。近くにあるとそんなもんです。
総門は仁王門ではなくて四天王像を安置する四天王門とも言うべき門です。表側を増長天と持国天、
裏側を多聞天と広目天が守護しています。江戸中期再建、京都府指定文化財。
総門を通りると右手に草生した敷地に大師堂があり、先進して石段を上がったところに本堂があります。
円隆寺は度重なる天災や火災で平安期以来の建物は消失して、今残るのは江戸中期以来の建物です。
しかし本堂には本尊である伝定朝作の釈迦・薬師・阿弥陀の三尊像の他、不動明王立像や毘沙門天像などが
火災の際にも信者の手によって運び出されて今に残ります。いずれも重要文化財ですが、通常非公開です。
映像や写真で見たことがありますが、金箔が多く残る三尊像はどっしりとした丈六像で平安期の作風と
はっきりわかる仏像です。
本堂横には聖徳太子堂と観音堂があります。太子堂は厨子が閉まっていて見えませんでしたが、観音堂は
聖観音菩薩のお顔だけが見えました。
江戸中期再建の多宝塔。小学生の時にこの塔を写生したのを思い出しましたよ。
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