岡寺から出て飛鳥寺へ。途中に飛鳥板葺宮跡なども通り、田んぼのあぜ道の先に飛鳥寺はあります。
飛鳥寺・・・法興寺・元興寺・本元興寺・安居院・・・と飛鳥寺は時代とともに寺名も変わっていきました。
飛鳥寺は日本に仏教が伝来してから、初めての伽藍(大門・回廊・塔・金堂・講堂)を持つ本格寺院です。
日本書紀によれば推古天皇4年(596)に創建したとあります。
現在は江戸後期に再建された堂宇が残るのみですが、創建当時は塔を3つの金堂が囲み回廊を廻らし、大講堂を
配置した大伽藍でした。(復元図、wikiより転載)
それまでは藁葺きや茅葺の建物しかない飛鳥の宮都に瓦葺で彩色の壮麗な建物が出現したわけですから、
当時の人達の驚きと感嘆も大きかったと思います。これ以降、斑鳩には斑鳩寺(法隆寺)、難波には四天王寺と
聖徳太子によって大きな寺院が造られていきます。
創建当時は法興寺と称し、やがて平城京遷都とともに元興寺と名を改めて平城京に移ることになります。
(元興寺は奈良市内に現存する)しかし、法興寺の本尊である釈迦如来(飛鳥大仏)はそのまま残り、本元興寺
とも呼ばれ、飛鳥の地名から飛鳥寺とも言われるようになったといいます。
奈良時代・平安時代を経てもなお大きな伽藍を残した大寺院であったようですが、火災が相次ぎ、鎌倉初期の
建久7年(1196)の火災により飛鳥以来の建物はすべて消失したそうです。
現在の本堂は江戸末期の再建ですが、その堂前にかつての金堂の礎石が残っています。
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飛鳥寺・・・法興寺・元興寺・本元興寺・安居院・・・と飛鳥寺は時代とともに寺名も変わっていきました。
飛鳥寺は日本に仏教が伝来してから、初めての伽藍(大門・回廊・塔・金堂・講堂)を持つ本格寺院です。
日本書紀によれば推古天皇4年(596)に創建したとあります。
現在は江戸後期に再建された堂宇が残るのみですが、創建当時は塔を3つの金堂が囲み回廊を廻らし、大講堂を
配置した大伽藍でした。(復元図、wikiより転載)
それまでは藁葺きや茅葺の建物しかない飛鳥の宮都に瓦葺で彩色の壮麗な建物が出現したわけですから、
当時の人達の驚きと感嘆も大きかったと思います。これ以降、斑鳩には斑鳩寺(法隆寺)、難波には四天王寺と
聖徳太子によって大きな寺院が造られていきます。
創建当時は法興寺と称し、やがて平城京遷都とともに元興寺と名を改めて平城京に移ることになります。
(元興寺は奈良市内に現存する)しかし、法興寺の本尊である釈迦如来(飛鳥大仏)はそのまま残り、本元興寺
とも呼ばれ、飛鳥の地名から飛鳥寺とも言われるようになったといいます。
奈良時代・平安時代を経てもなお大きな伽藍を残した大寺院であったようですが、火災が相次ぎ、鎌倉初期の
建久7年(1196)の火災により飛鳥以来の建物はすべて消失したそうです。
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