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★伊香保温泉★湖畔の宿

2012年09月05日 | ★旅行★国内
湖畔の宿記念公園と歌碑

昭和15年に発表され高峰三枝子が歌い一世を風靡した名曲「湖畔の宿」のモチーフになったことを記念して作られた公園。「湖畔の宿」の歌碑もあり、人気の散歩コースとなっています。公園内には前に立つと湖畔の宿のメロディーが流れる碑や、メロディーフェンス、広場などがあります。


湖畔の宿

作曲者 服部 良一
作詞者 佐藤 惣之助
歌   高峰三枝子 

(1) 山の淋しい 湖に
  一人来たのも 悲しい心
  胸の痛みに 耐えかねて
  昨日の夢と 焚き捨てる
  古い手紙の 薄煙り

(2) 水に黄昏 迫る頃
  岸の林を 静かに行けば
  雲は流れて 紫の
  薄きすみれに ほろほろと
  いつか涙の 陽が落ちる

(台詞)
 「ああ、あの山の姿も湖水の水も、
 静かに静かに黄昏れて行く・・・。
 この静けさ、この寂しさを抱きしめて
 私は一人旅を行く。
 誰も恨まず、皆昨日の夢と諦めて、
 幼子のような清らかな心を持ちたい。
 そして、そして、静かにこの美しい
 自然を眺めていると、ただほろほろと
 涙がこぼれてくる。」

(3) ランプ引き寄せ 故郷へ
  書いてまた消す 湖畔の便り
  旅の心の つれづれに
  一人占う トランプの
  青い女王(クイーン)の 淋しさよ


高峰 三枝子(たかみね みえこ、1918年12月2日 - 1990年5月27日)は、日本の女優、歌手。『歌う映画スター』の草分け的存在である。父は筑前琵琶演奏者の高峰筑風。孫は元女優の高峰陽(ひなた)。本名:鈴木三枝子(すずき・みえこ)。

エピソード

「湖畔の宿」は後に、センチメンタルな曲調に加え、歌詞が軟弱であるという理由から発売禁止の声も聞かれたが、当時来日していたビルマの高官がこの曲を好むことを東條首相が知り、高峯を東京・芝の紅葉館に招いて歌わせたところ、大いに受けたこともあり、かろうじて発売禁止は免れた。曲中の台詞が、死地へ赴く兵士の心情とあいまって、特攻隊、前線兵士の間では人気が高く、愛唱され続けた。そのため慰問でも「湖畔の宿」のリクエストは絶えなかった。1943年(昭和18年)、大東亜会議出席のため来日した、ビルマのバー・モウ長官が高峰のファンで、そのバー・モウからの強い要望で、東條英機自ら高峰側へ要請し、各国首脳の前で「湖畔の宿」や「南の花嫁さん」「純情二重奏」の3曲を披露した。この事実から「湖畔の宿」は本当に発売禁止だったのか、という疑問の声もある。










































学生時代、池部良とグループ交際しており、お互い俳優として再会した時はともに驚いたという。
阪急ブレーブスの大ファンで、特に当時のエース・梶本隆夫がお気に入りだった。後楽園球場に年間ボックスを確保して、阪急ブレーブスの試合には必ず応援に訪れていた。巨人ファンの市川崑とラジオ対談した際は、「私は松竹で、市川さん東宝なのにね(東宝は阪急資本で設立された企業であり、一方の松竹も、当時プロ野球チームの松竹ロビンスを所有していた)」と、自身が所属する映画会社と贔屓の球団があべこべであることを笑いあったことがある。

「3時のあなた」での司会がきっかけとなり、自民党から参議院選挙に出馬の打診があったが、断っている(その際に出馬要請を受け、出馬したのが山口淑子)。
1985年、秋の園遊会に招かれた際に、昭和天皇からのお言葉に感激のあまり泣いてしまい、『本日はお招き本当にありがとうございました。』と涙ながらに答えるのが精一杯であった。芸能活動について『最近どうだね?』と尋ねようとした昭和天皇も少し驚いた様子であったという。
1982年にTBS系で放送されたドラマ「いつもお陽さま家族」で、当時の皇后(香淳皇后)の役を演じているが、香淳皇后を俳優が演じたのはこれが初めてと言われている。

「フルムーン」のCMでの上原謙と二人で温泉につかるシーンでは、清純で上品なお嬢様役が多かった高峰の豊かな胸の谷間が大胆に披露されたこともあり、社会現象と言えるほどの人気を博す。このCMに、元・女優で自民党参議院議員の山東昭子が、「シリコンを入れた年寄りの胸など見たくない」と発言(雑誌「太陽」のアンケートに回答)したのも話題を呼んだ。高峰は「胸が大きいのは家系。母も妹も大きい。シリコン入りだ、なんて冗談じゃない」と反論。後年出版した自伝でもこのことについては、明確に否定している。また共演した上原も「シリコンだなんて…」とやんわり疑惑を否定している。