実はあたくし、この震災による復旧をしながら、毎日のように涙がとまらない。今朝も朝ジョイに来る車中で、昨晩の職人の皆さんの言葉を思い出しながら涙があふれていた。
昨日の現場は劣悪でした。ものすごい風だったんです。異常なほどの強風。砂塵が舞い、視界がなくなるほど。こんな強風は、年に一度あるかないかだったのではないでしょうか。
それでも奈良から来ている植田さんグループ、森田さんグループ、山梨から来ている古屋さんグループの3チームは、誰一人として現場を離れなかった。
その労をねぎらいたいと思い、昨晩は古屋さんグループと土浦でいっぱいやったんです。やっぱり飲みにケーションはいもんです。お互いの距離感がぐっと近くなる。その中での会話を書きたいと思います。
『いやーほんと、すごい風の中、ありがとうございました。』
『一度だけやばい時あったね。四つんばいになってふんばったけど、飛ばされそうになった。あん時は危なかったなぁ。砂が飛んできて目が開けられなくて、顔に当るもんだから痛くて痛くて・・・』
『・・・地場じゃけぇってるね!!!』(爆笑)
それまであまりしゃべらなかった中野さんのひと言でした。地元だったらこんなにムリしてがんばらなかったというのです。危険を承知で、明日は雨模様だから、なんとしてもその部分は収めたかった。真っ暗になるまでがんばった。職人の意地を感じた。
『今日はうちの次男坊の中学校の入学式だったんですよ。こんな調子だから出られなかったけど。』とあたくし。少しムリしてがんばっている自分を得意げにアピールするかのような言葉でした。すると古屋さん。
『うちも昨日入学式だったんですよ。中野さんもそう。でもこんな時だからこそ、子供に言ってきたんですよ。「お父さんは茨城で屋根が壊れて困っている人がいるから入学式にでてあげられんけど、かんべんしてな」って。そしたら「がんばってきてね」って言ってくれたよ。』
あたしゃ恥ずかしかったですね、自分が。彼らにとっての今回の行動の動機付けは、ぼくをはるかにしのいでいるのかもしれない。
『このままじゃ、瓦屋根がなくなっちゃうと思うんですよ。』と若手の池田さん。先日は静岡県の富士宮にも応援に行ってきたそうです。その彼が続けます。
『こんなに人に必要とされる仕事だなんて、これまで思ったこともなかった。施主さんに喜んでもらえるのがほんとにうれしい。通りがかりの人が「あぁ、このうちはもう始まってもらえたんだぁ。うちはいつになるかわからない。うらやましい。」って聞こえてきたんですよ・・・』
ぼくは彼らに言いました。
『いやほんとに、瓦職人は被災した人にとってはスーパーマン以外のなにものでもないよ』
そして談笑が進んで帰り際。
『ほんとに茨城に来てよかった。自分たちの仕事の意味がわかったし、何より施主さんにあれだけ喜んでもらえるなんて・・・。』
と、施主様とのこの3日間のやりとりをくまなく聞かせてくれました。初日おにぎりをご馳走になったこと。毎日お昼ご飯を準備していただいたこと。特製の焼き芋のこと・・・・。古屋さんグループの3人が、意地を張ってでもがんばり抜いた背景は、施主様との人間的な関わりがあったんだなぁ。
ぼくらのこころはひとつだった。
ではまた。
おさむ
昨日の現場は劣悪でした。ものすごい風だったんです。異常なほどの強風。砂塵が舞い、視界がなくなるほど。こんな強風は、年に一度あるかないかだったのではないでしょうか。
それでも奈良から来ている植田さんグループ、森田さんグループ、山梨から来ている古屋さんグループの3チームは、誰一人として現場を離れなかった。
その労をねぎらいたいと思い、昨晩は古屋さんグループと土浦でいっぱいやったんです。やっぱり飲みにケーションはいもんです。お互いの距離感がぐっと近くなる。その中での会話を書きたいと思います。
『いやーほんと、すごい風の中、ありがとうございました。』
『一度だけやばい時あったね。四つんばいになってふんばったけど、飛ばされそうになった。あん時は危なかったなぁ。砂が飛んできて目が開けられなくて、顔に当るもんだから痛くて痛くて・・・』
『・・・地場じゃけぇってるね!!!』(爆笑)
それまであまりしゃべらなかった中野さんのひと言でした。地元だったらこんなにムリしてがんばらなかったというのです。危険を承知で、明日は雨模様だから、なんとしてもその部分は収めたかった。真っ暗になるまでがんばった。職人の意地を感じた。
『今日はうちの次男坊の中学校の入学式だったんですよ。こんな調子だから出られなかったけど。』とあたくし。少しムリしてがんばっている自分を得意げにアピールするかのような言葉でした。すると古屋さん。
『うちも昨日入学式だったんですよ。中野さんもそう。でもこんな時だからこそ、子供に言ってきたんですよ。「お父さんは茨城で屋根が壊れて困っている人がいるから入学式にでてあげられんけど、かんべんしてな」って。そしたら「がんばってきてね」って言ってくれたよ。』
あたしゃ恥ずかしかったですね、自分が。彼らにとっての今回の行動の動機付けは、ぼくをはるかにしのいでいるのかもしれない。
『このままじゃ、瓦屋根がなくなっちゃうと思うんですよ。』と若手の池田さん。先日は静岡県の富士宮にも応援に行ってきたそうです。その彼が続けます。
『こんなに人に必要とされる仕事だなんて、これまで思ったこともなかった。施主さんに喜んでもらえるのがほんとにうれしい。通りがかりの人が「あぁ、このうちはもう始まってもらえたんだぁ。うちはいつになるかわからない。うらやましい。」って聞こえてきたんですよ・・・』
ぼくは彼らに言いました。
『いやほんとに、瓦職人は被災した人にとってはスーパーマン以外のなにものでもないよ』
そして談笑が進んで帰り際。
『ほんとに茨城に来てよかった。自分たちの仕事の意味がわかったし、何より施主さんにあれだけ喜んでもらえるなんて・・・。』
と、施主様とのこの3日間のやりとりをくまなく聞かせてくれました。初日おにぎりをご馳走になったこと。毎日お昼ご飯を準備していただいたこと。特製の焼き芋のこと・・・・。古屋さんグループの3人が、意地を張ってでもがんばり抜いた背景は、施主様との人間的な関わりがあったんだなぁ。
ぼくらのこころはひとつだった。
ではまた。
おさむ