池田先生の言葉
万物に「時」がある。
善きにつけ悪しきにつけ、
誰人も「時」のリズムから
逃れることはできない。
できるのは、今いかなる「時」かを
自覚することである。
人生も、信心も、
すべて限りある時間との
壮絶な戦いである。
いかに立派そうに決意を語り、
大言壮語しようが、瞬間、瞬間、
時間をどう使い、何をしているかに、
その人の生き方や
真剣さが表れるものだ。
「如来」とは、
「如々として来る」というごとく、
瞬間瞬間の躍動の生命をも意味する。
一切が、瞬間で決まっていく。
この瞬間瞬間を最高に充実させて、
すべてをいい方向に、
いい方向にと向け、活かし、
前進していく力が信心である。
時間をつくろう、動こう、友に会おう、
と必死に努力することは、
そのまま仏道修行です。
その一念が人間革命に繫がり、
自身の境涯を変革していくからです。
また、そうやって
こじ開けた時間だからこそ、
相手の労苦も分かり、
一言の励まし、一軒の家庭指導が、
相手の心を動かすのです。
本当に賢明な人は、
どんな状況でも価値を創造する。
いわんや仏法では
「心は工なる画師の如し」と説く。
「心」は名画家のごとく、
一切を自在に描き出していく。
したがって、人生そのものが、
「心」の描く「名画」である。
「心」が創り上げる芸術である。
池田先生の言葉
本当の幸福は、
人のために行動するなかにある。
社会のため、世の中のために
行動するなかにある。
私たちでいえば、広宣流布である。
折伏である。
最高の善行とは、幸福の大法である、
この仏法を教えることだ。
宿命を転換し、
幸福の道を切り開いていけるよう、
人々を励ましていくことである。
苦しんでいる人、
悩める人のために行動する。
激励し抜いていく――
創価の同志には、大変な状況のなかで
生きている人を目にした時、
見過ごすことなどできないという、
熱い思いが脈打っている。
それは利他の心の発露であり、
地涌の菩薩の使命に生き抜くなかで
育まれてきた生き方といってよい。
個人主義の風潮が強い
現代社会にあっては、
人は他者との関わりを避け、
自分の殻に閉じこもりがちになる。
その結果、人間の連帯が断たれて、
孤独化が進んできた。
そうしたなかで、他者の幸福を願い、
積極的に関わろうとする
学会員の生き方こそ、
人間を結び、蘇生させ、
社会を潤す力となろう。
我らには、最極の信念たる信仰がある。
強盛な祈りで、立ち上がれ!
題目は師子吼だ。
滾々と勇気が湧き、
満々と生命力が漲る。
さあ、いよいよ、これからだ!
人間の中へ、民衆の中へ、
勇んで飛び込み、大誠実の力で、
我らは勝利していくのだ。
新しい一日、新しい挑戦、
新しい出会いの舞台へ躍り出よう。
負けじ魂、朗らかに!
※池田先生の言葉は順に、『普及版 池田大作全集 スピーチ』2005年[3]、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章、『随筆 民衆凱歌の大行進』〈負けじ魂 朗らかに〉から。